雄略天皇3年(459年)に蒲生稲置三麻麿が現社地の東方2キロの千丈尾岳に素盞嗚尊を奉斎したのが最初で白鳳13年(685年)に現在の御旅所に遷した。仁寿元年(851年)小野篁が現在の地に社殿を造営し岡本神社と称した。 その後、別当の岡高神宮寺の勢力が強くなり、岡本が岡高と混同され、また菅原道真をまつつたので岡高天神などと称するようになつた。明治以降正式に岡高神社と称した。 |
由緒 雄略天皇3年(459年)に蒲生稲置三麿が千尤尾岳に素盞鳴命を勧請し白鳳13年(685年)に現在の御旅所に移し仁寿元年(851年)近江守小野篁が現在地に社殿を造営し、奉斎する。当時岡本郷(後の下草野花)の岡本神社と称した。本社の別当として岡高神宮寺清涼院があった。戦国時代織田信長の焼打を防ぐため父信秀が天満宮を尊崇敬斎すると聞いて京都北野天満宮より此分霊を勧請し、難を逃れ、その後尊崇する者多く岡高天神を崇め、明治初年には岡高神社と改称する。明治17年に郷社に列せられ15ケ宮の総社である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
岡高神社 雄略天皇3年に蒲生稲置三麿が千丈屋岳に素盞鳴神を勧請したのが創祀であると伝え、白鳳13年に現在の御旅所の地に移遷、仁寿元年近江守小野篁が現在地に社殿を造営して奉斎したとしている。その当時この地は岡本の郷といゝ岡本神社といっていた。織田氏の兵火を避けるため信長の父信秀が尊崇していた京都北野天満宮を勧請して、それ以後岡高天神と称するようになった。明治以後草野の庄十五ヶ村の総社として社名を岡高神社と改め明治9年村社に同17年郷社に列せられ神饌幣帛料供進指定。本殿は正徳6年の造営である。 滋賀県神社庁 |
郷社 岡高神社 祭神 菅原道眞公 文献の徽すべきなくして、其創祀沿革を詳にせすと雖も、旧下草野庄十五村の惣社にして、岡高山神宮寺といふ別当さへ附属したる(與地志略)を以て見れば、其古社たること略ぽ推知すべし、明治9年村社に列し、次いで同16年郷社に昇格す、境内3414坪(民有地第二種)を有し、社殿は本殿、拝殿其他神輿庫、社務所等を具へたり。 明治神社誌資料 |