山裾。集落奥に鎮座する。かっては熊野三社権現と称したこともある。 元は塩土老翁神のみを祭神としていたが、昌泰2年に伊邪那岐・伊邪那美の二神を紀伊国熊野より勧請したという。 |
下塩津神社 式内社 下塩津神社の由緒 一、祭神 塩土老翁神 配祀 伊邪那伎命 伊邪那美命 当社由緒に関する古記録によると、人皇十五代応神天皇が塩土老翁の神徳を知り二人の皇子に、塩土老翁の神霊を祀る事を命じられた。茲に二皇子、淡海の集福蘇翁に命じ下塩津の郷集福寺小松山小稲森に社祠を建て塩土老翁の神霊を鎮祭させて下塩津神社と称え奉った。 第六十代醍醐天皇の昌泰2年(899)今出川大納言の子の天台僧が当社神宮寺の吉祥寺の社僧となつ、紀伊の国熊野神社の伊邪那伎命・伊邪那美命の二神を勧請して熊野三社権現と称え奉るに至つた。下塩津郷五ケ邑並びに境内七町四方を神領とした。永享4年(1432)2月従五位の神階を宣下される。 延喜式神明帳に浅井郡十四座とあるが、その中に下塩津神社とあるのは当社である。 当神社の主な祭 神紋(十六弁菊花五七の桐) 8月16日 例大祭 花笠踊(ちゃんちゃこ踊)奉納 滋賀県無形民俗文化財 2月11日 神事祭(おこない)奉納 社頭掲示板 |
下塩津神社 当社に伝わる古記録によると、応神天皇、未だ皇子に在す時、塩土老翁の託宣を得給い、その御神護によって、天位に即き給いし後、大鷦鷯命及び菟道稚郎子命の二皇子に塩土老翁の神霊を斎き祀る事を命じられた。?に二皇子、淡海の集福蘇翁なる者に、勅旨を告げて当時の浅井郡下塩津の郷、集福時小松山小稲森に社殿を修築し、塩土老翁の神霊を鎮祭させて、下塩津神社と称え、奉ったという。昌泰2年頃熊野三山信仰が、普通であったので、紀伊の国、熊野神社に鎮祭の、伊邪那伎、伊那那美の2神は、塩土老翁の親神に当てらせられるのでこの二神を当社に勧請して熊野三社権現と称え奉るに至った。延喜式神明帳に浅井郡十四座とあるが、その中に下塩津神社とあるのは当社で、明治9年村社に列し、明治42年、神饌幣帛料供進神社に指定された。 滋賀県神社庁 |
下塩津神社 下ば志毛と訓べし、塩津は前に同じ、郡中に両社あれば下と分るなるべし、○祭神在所等詳ならざる事、上なる塩津神社に同じ、 神社覈録 |