伊夫伎神社
いふきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊夫伎神社 近江国 坂田郡鎮座

   【現社名】伊夫伎神社
   【住所】滋賀県米原市伊吹603
       北緯35度24分8秒,東経136度22分35秒
   【祭神】伊富岐大神 素盞嗚尊 多多美比古命
       『神祇宝典』『明治神社誌料』八岐大蛇
       『神名帳考証』(延経)天之吹男神
       『近江國坂田郡志』多々美比古命
       『神社覈録』『近江輿地志略』素盞鳴尊

   【例祭】4月23日 春季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】嘉祥3年10月従五位下『文徳実録』
       元慶元年(877)12月15日従三位
       貞観9年(867)4月2日奉弓箭鈴鏡『三代実録』
       天文5年(1536)5月当社大破
       永緑6年(1563)閏12月10日年中行事の記録あり
       明治9年1月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】伊吹山
   【祭祀】江戸時代は「伊吹大明神社」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所・祭器庫・手水舎・鐘堂

   【境内社】秋葉神社・権現神社
   【別当】吹山護國寺(元慶2年2月13日定額に列す)
       後、伊吹山寺は彌高、観音、大平、長尾の四ケ寺となり
       中古は伊吹大菩薩と称していた


姉川の漢流を左手にながめ、後ろに伊吹山(1377m)が聳えている。
かっては奥宮が伊吹山の中腹にあつたと伝えられている。


伊夫岐神社

当社は延喜式神名帳に見える坂田五座の一社であり、嘉祥3年、伊夫岐神従五位下を授けられ、貞観3年、従五位上になり、同9年神祇大祐大中臣朝臣常道を遣して、弓箭鈴鏡を奉り、元慶元年、正四位下から従三位を授けられ、名神小社に列せられる。古事記、日本書紀、文徳実録、帝王編集記等に見える古社である。往古は十五ヶ村の氏神として、崇敬者が多かったが、明治11年氏子分離して、現在は伊吹のみの氏神となった。祭神については、霜速比古命、多々美比古命、気吹男命、天之吹男命、又は素盞鳴尊であると、諸説があったが、明治初年より、八岐大蛇神霊として崇拝して来たところ、昭和18年、祭神を伊富岐神と改称された。釣り鐘堂がある。明治9年郷社に列す。

滋賀県神社庁



出雲井(いずもゆ)

大原野と呼ばれる原野を開拓するために、今から1300年ほど前に出雲国(島根県)の人が、伊吹山の麓から水路をつくり、姉川より用水の便を計り、開墾地にかんがいしたと伝えられています。
3年半の年月がかかった約1kmのこの井渠は、出雲人により開墾されたため出雲井と名付けられ、今日に至っています

社頭掲示板



伊夫岐神社と伊吹山の神

伊吹山地の水を集めた姉川が、まざに平野部に出る場所にあるのが伊夫岐神社です。伊富岐大神ぼか、二神を祭神とします。ここを水源にして関かれた用水が「出雰井」で、一説には、宝冶2年(1248)、大原荘(旧山東町北部)の地頭大原重綱の家臣出雲吉兵衛が井堰を設置したといいます、出雲井は、大原荘および郷里庄(長浜市北東部)一帯の水田を潤しました。伊吹山の神は水神で、水の分配をつかざどる神として、水田耕作`に利用ざれる姉川の水を掌握するこの場所に、伊夫岐神社は祀られました。ここは、神が棲む伊吹山頂を遥拝する清めの場であり、里宮的存在だったようです。
米原市教委育委員会

社頭掲示板



伊富岐神社大杉

この大杉は根元の周囲約9.6m目通り約6.6m高さ約30mで、地上5mあたりから四本の幹に分れている。枝張りは東西約10.5m南北約16mで、樹勢も好く県下で稀な大木である。
いい伝えによると関ケ原の戟いの時、杜殿は兵火にかかつたが、御神体は幹の分れたところに安置してあったのて安泰であったという。古来より御坤木として仰かれている。
垂井町教育委員会

社頭掲示板



伊夫岐神社

滋賀県坂田郡伊吹村伊吹。旧郷社。伊富岐大神を祀る。『文徳実録』嘉祥3年(850)従五位下、『三代実録』貞観3年(861)従五位上、元慶元年(877)従三位が授けられ、延喜の制小社に列せられた。例祭4月23日。1月18日は大形の鏡餅を神前に倶える祭あり。

神社辞典



伊夫伎神社

伊夫伎は假字也○祭神素戔鳴尊、(與地志)○伊吹山麓柏原荘伊吹村に在す、郷中十五村の産土神也、
日本紀、景行天皇40年10月、日本武尊更還於尾張即娶尾張氏女宮簀媛、而溌留踪月、於是聞近江謄吹山有荒神即解劒置於宮簀媛家、而徒行之、至伊吹山、山神化大蛇当道、爰旧本武尊不知主神化、蛇之謂、是大蛇荒神之使也、既得殺主神、其使者貴足求乎、因跨蛇猶行、時山神之、興雲零氷、峯霧谷圧、無復可行之路、仍棲逞不知其所跋渉然凌霧強行、方僅得出・猶失意如酔
類社
美濃國不破郡伊富岐神社、
當社は即ち此伊吹山の背に鎭坐也、伊吹山江濃両國に跨る也、
神位
文徳実録、嘉祥3年10月壬子、近江國伊富岐神授從五位下三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授近江國從五位下伊富岐神從五位上、元慶元年12月25日辛夘、授近江國正四位下伊富岐神從三位、
神宝
三代実録、貞観9年4月2日辛未、遣神祇犬佑正六位上大中臣朝臣常道、向近江國伊液福伎神趾、奉弓箭鈴鏡

神社覈録



郷社 伊夫伎神社

祭神 八岐大蛇
祭神一説素戔鳴尊なりといふ(與地志略神社覈録)又一説には多々美比古命なりといひ(神祇志料及一書)、又??草葺不合尊ともいふ(木曾名所図絵)、與地志略に素戔鳴尊を祀れりといへるには大に理由あり、景行天皇40年10月、日本武尊復尾張にかへり、宮簀姫を娶り給ひしが、曾々膽吹山に荒神ありと聞き給ひて、剣を解きて姫の家に置き、独り膽吹山に上り給ふに、山神大蛇となりて道に当れり尊は、之を跨きて進み給ひしに、毒気に中りて薨し給ひしといふを以て、是即ち素戔鳴尊の、日本武尊の懈怠を戒め給へるなりといふに在り、神社明細帳の八岐大蛇といふも、此の大蛇によりて定めしなるべし、神祇志料の多々美比古命といへるは、帝王編年記によりて定められたるものなるべし(神名辞書を参考すべし)木曾路名所図會の葺不合命といへるは其拠を知らず、創祀年代詳ならず、文徳天皇嘉祥3年10月從五位下を授けられ(文徳実録)清和天皇貞観元年正月従五位上に叙せられ、9年4月2日には、朝廷より神祇大佑大中臣朝臣常道を遣して、弓箭鈴鏡を献られしことあり、陽成天皇元慶元年12月正四位下より從三位に進めらる(三代実録)、醍醐天皇延喜の制小社に列せられ、坂田郡五座の一に加へらる(延喜式)郷中十五村の産土神たり、昔時膽吹山上に在りしが、後に之を現在の地に遷せり、明治9年郷社に列し、11年氏子分離し、今は伊吹村の産土神たり、境内1299坪(官有地第一種)、社殿は本殿、拝殿其他木屋等の建物を備へ、地伊吹の西麓に位し、姉川の曲折に当り、風光甚だ明媚なり、神道百首の中に、またこむといふきの山の神ならばさしも契りしことなわすれそ。

明治神社誌料



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