多賀大社の境外摂社である。 多賀町との境。国道306よりやや北へ入る。工場裏手の山中。集落の奥。鳥居なく、灯籠もない。 |
山田神社 祭神 猿田彦大神 延喜式内山田神社一座とあり、鎮座年代不詳。神社啓蒙、彦根藩取調書、神名帳打開、淡海木間桜等に依れば、山田神社は多賀神社の西北一里、山田村にあり云々と、往昔は野田山村の産土にして、現今旧地の西北に当たって小山あり、此処に鎮座す。称徳天皇天平神護2年,近江地5戸を以て神封に充てられき。新抄格勅封、扶桑略記裏書等を接ずるに、醍醐天皇延長6年5月丙午、犬上郡山田明神位貴請印とあるは即ち此の社なり。されどその神階詳ならず。天正3年社内の森焼失す。後多賀神社の末社たり。明治13年建物全部倒壊のため許可を得て、同15年多賀神社境内に仮本殿を設けて移転し、祭祀を奉仕し来りしが、明治44年11月6日、旧地へ復旧願提出、大正9年4月23日旧地に遷座あらせられたり。昭和9年3月10日摂社に指定される。 (多賀大社由緒略記) 平成10年4月24日 社頭掲示板 |
山田神社 山田は夜末多と訓べし○祭神猿田彦ノ大神〈與地志)○月木村の傍に在す、則ち多賀神社末社也、 社中に山田神主、同禰宜等の家あり、 類社 (欠く) 神位 扶桑略記裡書、延長6年5月2日丙午、犬上郡山田明神位記請印 神社覈録 |