左右に2本殿分かれてあり。 小幡八幡宮、若櫻宮、大宮、惣社、山王社の五座より成り、小幡八幡宮と若櫻宮を一社に祀り、大宮、惣社、山王社を一社に祀る。維新後何れも共に同じく小幡神社と呼んだが、明治43年には両社を併合して一つの小幡神社となつた。 |
由緒 小幡邑の氏神と仰ぎ奉る惣社大明神、山王大權現、四組の氏神にまします大宮大明神の三座を奉祀する東殿と、築瀬邑の氏神と崇め奉る若桜宮大神および小幡八幡宮の二座を奉齋する西殿とから成っている。東殿を春日大明神、西殿を小幡八幡宮と申し上げたが、明治9年二社ひとしく小幡神社とされ、同43年官允(かんいん)を得て両社併合御神威ますます輝き給うて今日にいたった。 その昔2月の祭礼に当りては、初午、二の午の両度に神輿を奉じて九郷二十余村を巡る渡御の神事いとも盛大に齋行され、その行粧の委細は記録に明らかである。時代の推移に随い次第や巡幸路等に逐次変遷はありながらも、氏子を挙げての美しい伝統は今も4月8日の祭礼と、その宵宮をはじめ年中行事の数々に脉々と継承されている。 社傅によれば推古天皇の11年の創始といわれ、惣社は祓所(はらへど)四柱の大神を祭神とし、日吉大神は天福年中、小幡位田(いんでん)の地が日吉大社の社領とされた神縁による御鎮座といわれる。また天長年間に春日神社を勧請して大宮が創まり、西殿若桜宮は大宮の御分霊をまつる若宮にましまし、八幡大神を奉鎮すると伝えるなど、創始の伝承はさまざまであるが、何れにしても似小戸とたたえる霊泉の四時滾滾と絶えることのない聖域に氏神の宮居を崇祀した父祖の深い祈りが偲ばれる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
小幡神社 4組の氏神と仰ぎ奉る大宮大明神小幡邑氏神に坐す、惣社大明神、山王大権現の3社を奉祀する東殿と、築瀬邑の氏神と崇め奉る若桜宮大神及び小幡八幡宮の2座を奉斎する西殿から成っている。東殿を春日大明神、西殿を小幡八幡宮と申したが、明治9年ひとしく小幡神社とされ、同43年官允を得て両者併合今日に至った。その昔2月の祭礼に当りては、初午2の午両度に神輿を奉じて9郷20余村を巡る渡御の神事いとも盛大に斎行され、その行粧の委細は記録に明らかである。社殿によれば天長年間に春日神社を勧請して大宮が創まり惣社は祓所4柱の大神を祭神とし、日吉大神は天福年中小幡位田の地が日吉の社領とされた神縁による御鎮座と云はれる。また西殿の若桜宮は大宮の御分霊を祀る若宮であり八幡大神をも奉鎮すると伝え創始の伝来は様々であるが、何れも似小戸と称える霊泉の4時滾々として絶えることのない聖域である。 滋賀県神社庁 |
小幡神社御由緒 当社は四組の氏神と仰ぎ奉る大ミys大明神小幡邑の氏神にまします惣社大明神 山王大権現の三座を奉祀する東殿と簗瀬邑の氏神と崇め奉る若桜宮大神および小幡八幡宮の二座を奉斎する西殿とから成っている。東殿を小幡春日大明神西殿を小幡八幡宮と申し上げたが明治9年二社ひとしく小幡神社とされ同43年宮許を得て両社併合御神威ますます輝き給うて今日にいたった。 その昔二月の祭礼に当りては初午二の午の両度に神輿を奉じて九郷二十余村を巡る渡御の神事いとも盛大に斎行されその行程の委細は記録に明らかである。時代の推移に従い次第に巡幸路等に逐次変遷はありながらも氏子を挙げての美わしい奉仕の伝統は今も4月8日の祭礼とその宵宮をはじめ年中行事の数々に脈々と継承されている。 社伝によれば天長年間に春日神社を勧請して大宮が創まり惣社は祓所四柱の大神を祭神とし日吉大神は天福年中小幡位田の地の日吉社の社領とされた神縁による御鎮座とされまた西殿若桜宮は大宮の御分霊を祭る若宮にましまし八幡大神をも奉鎮すると伝えられ創始の伝承はさまざまであるが何れにしても似小戸とたたえる霊泉の四時滾々と絶えることのない聖域に氏神の宮居を崇祀した父祖の深い祈りが偲ばれる。 昭和54年4月吉日 宮司 芝原定政 謹記 社頭石碑 |