大瀧神社
おおたきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川桁神社 近江国 神崎郡鎮座

   【現社名】大瀧神社
   【住所】滋賀県犬上郡多賀町冨之尾1585
       北緯35度11分25秒,東経136度17分50秒
   【祭神】高おかみ神 (配祀)闇おかみ神
       『近江國輿地志略』祭神詳ならず

   【例祭】5月5日 春季例大祭
   【社格】
   【由緒】創立年代は不詳
       大同2年創立と伝
       寛永15年(1638)徳川家光公により修復

   【関係氏族】
   【鎮座地】滝の位置との関係から古来この地に鎮座と思われる。

   【祭祀対象】大滝
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       祝詞舎・中門・神饌所・手水舎・拝殿・神輿庫・社務所

   【境内社】

川に面している。滝の音ごうごうとしている。
古来、多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられている。


由緒

大瀧神社は古来多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられてきたようである。祭神高オカ神(たかおおかみ)闇オカ神(くらおおかみ)で、室温湿雨を司り水脈を主宰し、農作物の生茂繁植の道を補助し給う神である。
社殿の創立年代は、大同2年(西暦87年)坂上田村麿将軍の願いで建立されたものと想像される。寛永15年(西暦1638年)徳川家光公により修復され、今日に至り、昭和48年(西暦1972年)滋賀県有形文化財に指定され、昭和54年(西暦1978年)本殿の屋根の葺替及び部分修理がなされた。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




大滝神社

多賀駅より胡宮神社を過ぎて約4Km、犬上川の清流に面して大滝神社が鎮座しています。ここは俗称「滝の宮」として知られるとおり、犬上川がここで約10mの落差をもって流れ落ち、滝の周囲は奇岩、怪石に目を奪われるほどの景勝の地となっています。
神社の創立は明らかでないが、古来、多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられている。祭神は高おお神・闇おお神の二神で、「湿雨を司り水脈を主宰し、農作物の生茂繁植の道を補助し給う神」といわれます。(おお=雨の下に龍と書く)
犬胴松の由緒
その昔、犬上・式部二族と云われます稲依別王命は、日頃より猟を好まれ猟犬小石丸を引き連れ山間を徘徊されていた処、偶々この渓谷の淵に往来の人々に危害を加える大蛇がいる事を聞き及び、退治せんものと愛犬を伴い渓谷を探し続けた。
七日七夜を過ぎ、仮眠中の危急を知った小石丸が吠えたてる事頻りなれば、命は怒り、腰の剣で一刀のもとに愛犬の首をはねると、首は岩影より命に襲い掛からんとする大蛇の喉にしっかり咬みつき、大蛇は遂に淵に落ち悶死せり。命は大いに驚き、この愛犬忠死に深く感銘し祠を建て之を祀り給う。 これ犬咬明神である。
斯くして命を救った忠犬の霊を犬胴塚に葬り、其処に松を植えられたのが犬胴松である。 今は枯れ果てその面影を残すのみであったが、お堂を建立してその霊をお祀りするものである。

社頭掲示板



大瀧神社

瀧之宮 御祭神 高お神 闇お神 分水神
例祭日 5月5日
御本殿 一間社流造檜皮葺(県有形文化財)
御祭神は京都鞍馬の貴船神社にも祀られる水神で旧大滝村の総鎮守として、又、犬上川流域の水利を司る神として広く崇敬されている。
創祀年代は確定できないが「淡海落穂草」に「大同2年坂上田村麿将軍のご領にて建立」とある。
現在の本殿は、標木及高欄擬宝珠に寛永15年(1638)の銘があり、多賀大社、胡宮神社等と共に徳川家の造営によるものであり、象頭形の木鼻、花鳥を刻した蟇股欄間等に江戸初期の様式手法をよく伝えている。

社頭掲示板



大瀧神社

県指定有形文化財
一間社流造 桧皮葺 江戸時代
昭和48年6月27日指定
神社の創立は、あきらかでないが多賀大社の奥宮あるいは末社と考えられる。一間社流造の本殿形式は、全国的に分布し、三間社流造に次いで遺構が多い。 現在の本殿は、棟木および高欄擬宝珠に寛永15年(1638)の銘があり、また、「慈性日記」の同年の記録からも胡宮神社本殿、千代神社本殿(彦根市)などと共に多賀大社の末社として再建されたことが裏付けられる。
 一間社としては規模の大きな本殿で、象頭形の木鼻、鳥や花を彫刻した蟇股、欄間などに江戸初期の様式手法をよく伝えている。
平成4年3月
滋賀県教育委員会

社頭掲示板



大瀧神社

旧跡 大蛇ヶ淵
 大滝神社境内の、御神木辺より見降ろすあたりの岩瀬は「大蛇ヶ淵」と呼ばれる。 上流に、犬上ダムが建設されるまでは、「大瀧」の名に恥じない堂々たる瀑布であった。
 瀧淵には神代の昔、大蛇が棲んでいたと云われる。 近辺の住民に仇なす祟り神であった。 大蛇は、犬上建部君稲依別命と忠犬小石丸によってこの淵に鎮められる。
 ここより対岸に小さな祠が見えるが、この祠が犬上神社の元社稲依別命が小石丸の首を鎮めたと云われるところで、眼下の大蛇ヶ淵と、時に大奔流と化す川面を見守り、鎮めているかのようである。
平成12年(2000)7月

社頭掲示板



大瀧神社

  御祭神 高おお神(たかおおかみ) 闇おお神(くらおおかみ) 分水神(みずをわけるかみ)
  例祭日 5月5日
  御本殿 一間社流造 檜皮葺
御祭神は京都鞍馬の貴船神社にも祀られる水神で、旧大滝村の総鎮守として、また、犬上川流域の水利を司る神として広く崇敬されている
。創祀年代は確定できないが、「淡海落穂草」に「大同2年坂上田村磨将軍の御領にて建立」とある。
現在の本殿は、 標木及び高欄擬宝珠に寛永15年(1638)の銘があり、多賀大社・胡宮神社と共に徳川家の造営によるものであり、象頭形の木鼻、花鳥を刻した蟇股欄間等に江戸初期の様式手法をよく伝えている。
平成12年9月
多賀町教育委員会

社頭掲示板



大瀧神社

創祀年代不詳であるが、『淡海落穂草』に「大瀧三社の御舘野の礼所は大同2年坂上田村麿将軍の御領にて建立云々」とあり、今も俗稱御舘野と呼ぶ所がある。其後寛永年代徳川家により造営がなされ、現在に至っている。明治9年村社、同14年に郷社。同41年神饌幣帛供進指定となる。

滋賀県神社庁



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