奥津島神社
おきつしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】奥津島神社 名神大 近江国 蒲生郡鎮座

   【現社名】奥津島神社
   【住所】滋賀県近江八幡市沖島町188
       北緯35度11分58秒,東経136度3分16秒
   【祭神】奧津島比売命
       『神名帳考証』『大日本史神祇志』『地理志料』「瀛津島姫命」
       『神社覈録』『神祇志料』『特選神名牒』「奥津島姫命」

   【例祭】5月3日 例祭
   【社格】
   【由緒】和銅5年(712)藤原不比等によって社殿が創建

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八尾大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】

琵琶湖の沖の島に鎮座する。沖の島は湖の中の島で、日本で湖の中にある島としては唯一人が住んでいる。


奥津嶋神社

和銅5年藤原不比等、勅命を奉じて創立すると伝える。大永五年の社記一巻 享保十九年の弁財天記あり。又一説によると原因は、築前は宗像の興津宮に坐す神と同神であり、古へ朝廷に於ても重く尊崇され、勅撰に依て、近江国式内155座の内の大社にて、殊に蒲生郡一社名神大之神社であると伝えし事があるという。

滋賀県神社庁



略記

近江八幡市沖島町188番地鎮座
奥津島神社
祭神 多岐理比売命 又の御名を瀛津島比売命と称し三女神の長女に坐します
社伝に曰く此の島は古くより神の島として航行の船舶が安全を祈願した紫式部家集に「おいつしま 守りの神やいますらむ 波もやわがぬ わらわえの浦」とあり
元明天皇和銅5年淡海公藤原不比等が勅許を得て社殿を創祀す
延喜式神名帳に蒲生郡十一座の内 奥津島神社名神大 とあり
本社は筑前宗像神社の分神を遷されたもので鳥居の額に瀛津島神社とある其の証拠である、神社の社標は愕堂翁尾崎行雄氏の揮毫に拠る 鎌倉以来徳川迄武将は此の島を湖上航行の要所として禁制を布令し本社に武運を祈願した。島民の祖先は平安時代保元平治の乱により平家の勢力に押されて坂本堅田に駐屯していた源氏の一族が湖上の此陸に・・・軍船一隻が此島に難破し爾来其の乗り組み武士が此の島に住み着き世にも珍しい源氏の落ち武者部落を造った。神社の氏子・・・・・此の住民である。
明治36年4月28日明治天皇京都大宮御所行幸の際日野西侍従を差遣せられ・業大地引網の実況を御視察せしめ給い侍従は島に上陸して当社に参拝せられた。
大正昭和両度の御大典には大嘗祭の御餞として・を加えられ此の島に御下命になり之れが奉納に際しては当拝殿に於いて潔斎の上謹製上納した。 推ふに当社は琵琶湖を守る神として崇敬せられ世の進むにつれて湖の水が京阪神の水源池として重要視されるとき昔より琵琶湖を守護する唯一つの神社として水の恩恵の如何に深きかを教示せられしを知り一般の崇敬を一層深き・・神明の加護を・・・・信ずるものであります。

社頭掲示板



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