菅田首等が祖神を祀った。 |
菅田神社 社歴略掲 式内 菅田神社 祭神 天目一命 由緒 当社は延喜式神明帳に列する名神であります。 創設は人皇50代桓武天皇延暦13年爾来日野川の洪水或は兵火の災禍にあい、歴史の流れとともに変遷はあった。 古事記にみえる天津日子根命の御子が天目一命であります。この方の子孫の蒲生稲置や菅田首が蒲生平野一帯を治めていた。和名抄にみえる桐原郷は菅田首が治めていたので、その祖先の天目一命を祖神として広くこの地域の人々が敬仰し、氏神として今日に至っているのであります。 尚祭神は鍛冶屋の祖とも伝えられていることは新しい技術を導入しこの地域の開発に後見された所以であります。 社頭石碑 |
菅田神社 当地に鎮座する延喜式神名帳に記載される名神であり、姓氏録、古事記共に菅田首の祖神を祭祀した祭壇で、天津比古禰命の御子天目一命を祭神とすると記されてある。中古京都新日吉社の社領に納められた一時期、祭神を大己貴命という謬説が出たが、文禄元年の社記及び古史伝に何れも明確に天目一神と記されている。明治九年村社に加列、同四十二年神饌幣帛料供進神社に指定された。(式内社については現在論社とされる。) 滋賀県神社庁 |
菅田神社 菅田は須賀太と訓べし、和名抄、(郷名部)篠田、(篠は菅の誤なるべし)○祭神菅田首祖神歟○在所詳ならず 姓氏録、(山城國神別)菅田首、天久斯麻比土都命之後也、 類社 (欠く) 神社覈録 |