長寸神社
ながきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】長寸神社 近江国 蒲生郡鎮座

   【現社名】長寸神社
   【住所】滋賀県蒲生郡日野町中之郷1565
       北緯35度2分30秒,東経136度15分56秒
   【祭神】事代主命 (配祀)天照荒魂神
   【例祭】4月16日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天慶元年(781)右大臣中臣清磨が勧請
       文和4年(1355)造営
       応永8年(1401)造営
       元禄16年(1703)造営
       明治9年10月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「長寸下之社」「山崎宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所・神饌所・神門・手水舎

   【境内社】八坂神社・天満天神社

光仁天皇の天慶元年(781)右大臣中臣清麿公大和春日社別宮として勧請という。
太古は長村神社とあったのが村が寸に転じたとの説がある。


長寸神社

当社が鎮座の地は古え蒲生上郡長寸郷奥津保と称し長寸山の麓長寸川(一名左久良川)の渓流近き地に鎮座す。
創祀は人皇第49代光仁天皇の馭宇天慶元年右大臣中臣清麿公大和春日社別宮摂社の内として此の地に勧請せるものにして延喜式神名帳所載蒲生郡十一座中の社あり古は長寸山の尾崎に祀れるを以て山崎宮とも称し応永及文和年間の社宝にも山崎宮と記せり。本殿の創建は紀年詳ならずと雖も再建数度に及び文和4年修復次いで元禄16年建造現在に至る。
当社の摂社として祀れる賀川(長寸下社)諸次(長寸別宮)大屋(杉杣大宮)藤切(大宮別宮)の四社は古来長寸上社たる当社と共に五社大明神と称し神輿渡御を始め三郷雨乞の神事等当社が常に郷内最首の総社として奥津保一円の中心となり郷民の深き崇敬を聚め来たりしものにして亦招福神及疫病除神として近郷の信仰厚き名社なり。
尚境内に古跡として勅使桜及龍石橋残存す。

社頭掲示板



長寸神社

中之郷の鎮守社である長寸神社は古代社格の高かった式内社であったとも伝えられるが、山崎宮と称した神社であった。
祭神等は社記板に記された通りであり、奈良時代の大昔宝亀3年(772)に創建されたと古記にあり桜谷の歴史と共に里人に崇敬された数々の貴重な資料を残している。
特に文和4年(1355)の棟札や応永8年(1401)刻銘の鰐口なぢは有名である。杉杣郷の大屋神社との関連も深く、4月17日が祭礼日である。
日野観光協会 東桜谷公民館

社頭掲示板



長寸神社

蒲生郡志によると「延喜式神名帳本郡十一座の中なる長寸神社なりと伝う。興福寺官務牒疏に云く 善通教釈寺在近江国蒲生郡長寸郷奥津保中之郷云々中略僧房総数七十宇鎮広峰天王、右四箇寺者光仁天皇宝亀3壬子年善珠僧正本願之伽藍也、殊為長寸上下神大屋神之法楽精舎処也。長寸神 在同所山崎祭所積羽八重事代主神天照荒魂神素盞烏神、社僧二人神人六人楽頭日吉太夫云々 当社は左久良山の南端に祀らる故に古へは山崎宮と称したり、社蔵史料に文和4年の棟礼及び応永8年の金口以下数点あり、山崎宮と記す、享徳3年の奥書ある社記には長寸神社一に山崎大明神というと見ゆ」と記している。明治9年村社に列す。同41年神饌幣帛料供進指定。

滋賀県神社庁



長寸神社

長寸は奈賀支と古点あり○祭神在所等詳ならず
伴信友云、村を寸と書は古書に多しと云り、

神社覈録



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