大屋神社
おおやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大屋神社 近江国 蒲生郡鎮座

   【現社名】大屋神社
   【住所】滋賀県蒲生郡日野町杉228
       北緯35度2分46秒,東経136度17分44秒
   【祭神】五十猛神
       『神名帳考証』「大屋津姫命」
       『神社覈録』「大家首祖神」
       『地理志料』「大屋比古ノ命」

   【例祭】4月16日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天応元年(781)右大臣中臣清磨が勧請
       明治9年10月村社
       明治41年神饌幣幣料供進指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「杉杣大宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】小綿向神社・八幡大神社

川沿いの尾根の中腹に鎮座、長い参道である。豊富な木々に囲まれている。


大屋神社

主神  五十猛神
由緒
当社は光仁天皇天応元年(781)右大臣中臣清麿が勅使として勧請せし所と伝えられ、延喜式内社蒲生郡十一座中の一社である。又杉杣大宮とも称し奥津保郷の総社として広く尊崇されてきた。
主神五十猛神は素盞鳴命の御子に坐して天降ります時幾多の木種を持来たり大八州国に播種して青山とし国土経営を成給う誠に有功の神とも称せられ、農業を始め諸産業振興の神として又厄除け開運の神として御霊験顕著にましまして篤く信仰されている。
又小綿向神社に祀る天穂日命は天照大神の第二皇子であられ出雲国開拓の祖神であり国造の祖先で元は杣向山に鎮座されていたが昭和35年当社境内に遷座されたものである。
尚本殿は正徳3年(1711)に再建されている。
例祭4月17日 山口祭1月3日 茅輪祭 7月31日

社頭掲示板



大屋神社

杉・杣・川原を杉杣庄と古来呼んだこの地方の産土神であり、延喜式神明帳に名を知られた式内社である。
祭神などは社碑記載の通りであるが、この神社に伝わる宮座の制度茅の輪神事の様式、神社前の竜王御神木等々に杉杣庄の民俗の特異さを残し、正月の山の神行事には古代人が神聖視した鳥とのかかわり合いを今に伝えて珍しい。
なお社蔵の大般若経や南北朝期の宝筺印塔など文化財も多く残されている神社である。
日野観光協会 東桜谷公民館

社頭掲示板



大屋神社

創祀年代不詳。蒲生郡志によると「延喜式神名帳本郡十一座の一なる大屋神社なり、新撰姓氏録に大屋首ハ天道尼乃命孫比古麻夜真止乃命之後也と見へ、舊事記には五十猛神なりとす、当社は天応元年右大臣中臣清磨勧請せし所と伝う、是れ興福寺官務牒疏に 大屋神 在国所杉杣近江蒲生郡長寸郷奥津保號大宮祭所五十猛神大屋彦大屋姫弐合参座社僧弐人神人九人。藤切神 中略 右件社者光仁天皇天応元辛酉年右大臣中臣清磨勧請所也。」と記している。明治9年村社、同41年神饌幣幣料供進指定

滋賀県神社庁



竜王の御神木

夏に早ばつが続くと桜谷の先祖達は竜王山頂に祀られた雨の神、八大竜王へ必死の雨乞祈願をかけた。山頂にある竜王の霊石を佐久良川沿岸八ヶ村が共同で三つの郷へ迎え、上之番、中之番、下之番がそれぞれ霊石を迎えた神社で踊リなどを奉納しつつ、夜を徹しての盛大な雨乞祈願を行った.ここは上之番である杉杣郷三ヶ村が竜王の霊石を迎えた場所である.今雨乞は消えたが7月1日の竜王山頂での祭は続けられている。
日野観光協会・東桜谷公民館

社頭掲示板



大屋神社

大屋は於保夜と訓べし○祭神大家首祖神歟○在所詳ならず
姓氏録、(右京神別下)大家首、天道尼乃命孫比古麻夜真止乃命之後也、

神社覈録



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