「中の前の己爾乃神社」「大曲の己爾乃神社」と呼ばれている。 本来、上下の二社をもつて構成される形が式内己爾乃神社であつたと思われる。 平地、田中。大宝3(703)に中臣為恵が創立。往古は現地より南西にあり。元亀2の兵火で焼失。寛政3より現地に再建。 |
己爾乃神社 己爾乃神社 (正一位御前社) 御祭神 大己貴命 天津彦根命 素盞嗚命 神宮寺 保流山玉林寺 「己爾乃御前社」とか「己爾乃御前大明神」とか称され、文武天皇の大宝3年(703)に中臣為恵が創建した延喜式内社である。 この地は古来より曲峡の里。己爾野荘大曲里と呼ばれ中世には大満加里とも言われた。度重なる洪水の時、御前大明神が現れ「この地は霊地なり。我を祭らば五穀豊穣にして国民安穏なるべし」との託宣により御奉斎された。 往古は現在地より南西に位置し荘厳華美な神社として栄えたが、元亀2年の兵乱で破壊され、現境内は寛政3年から文久3年にかけ70年余を費やして再建されたものである。 社頭石碑 |