己爾乃神社 (下社)
こじのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】己尓乃神社 二座 近江国 野洲郡鎮座

   【現社名】己爾乃神社
   【住所】滋賀県守山市洲本町2322
       北緯35度5分41秒,東経135度57分56秒
   【祭神】大己貴命 天津彦根命 素盞嗚命
   【例祭】5月4日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】大宝3(703)中臣為恵が創立
       元亀2兵火で焼失
       寛政3現地に再建

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古は現地より南西にあり
        元亀2兵火で焼失
        寛政3現地に再建

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「中の前の己爾乃神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】稻荷社・大城神社・天満宮
   【神宮寺】近くには旧神宮寺たる玉林寺(天台)が伝存

「中の前の己爾乃神社」「大曲の己爾乃神社」と呼ばれている。
本来、上下の二社をもつて構成される形が式内己爾乃神社であつたと思われる。
平地、田中。大宝3(703)に中臣為恵が創立。往古は現地より南西にあり。元亀2の兵火で焼失。寛政3より現地に再建。


己爾乃神社

己爾乃神社
(正一位御前社)
御祭神 大己貴命 天津彦根命 素盞嗚命
神宮寺 保流山玉林寺
「己爾乃御前社」とか「己爾乃御前大明神」とか称され、文武天皇の大宝3年(703)に中臣為恵が創建した延喜式内社である。
この地は古来より曲峡の里。己爾野荘大曲里と呼ばれ中世には大満加里とも言われた。度重なる洪水の時、御前大明神が現れ「この地は霊地なり。我を祭らば五穀豊穣にして国民安穏なるべし」との託宣により御奉斎された。
往古は現在地より南西に位置し荘厳華美な神社として栄えたが、元亀2年の兵乱で破壊され、現境内は寛政3年から文久3年にかけ70年余を費やして再建されたものである。

社頭石碑



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