社伝に、天長6年(829年)に伊香厚武が創建したとする。 「開発の己爾乃神社」「列系図の己爾乃神社」とも呼ばれている。 本来、上下の二社をもつて構成される形が式内己爾乃神社であつたと思われる。 はじめはいま伴神とされている天児屋根命と伊香津臣命を主神としていた。 |
己爾乃神社 由緒 祭神 天児屋根命・伊香津臣命 例祭 5月5日 延喜式神名帳に所載の官幣社にして天長6年(829)の創建なり。 中古より明治の初年に至るまで若一大権現を号せしことあり。 開発の氏子自主独立にして崇敬の誠を致して今日に及ぶ。 社頭掲示板 |
己爾乃神社 式内 己爾乃神社 御祭神 天兒屋根尊 伊香津臣命 摂社 己爾乃若宮 例祭 5月5日 菜蒔盆 9月15日 由緒 平安時代初期速野庄開発の地を開いた伊香正厚の子厚武によって、淳和天皇の天長6年(西暦829)当社が創建された。太古祭祀を統べる天兒屋根尊と、その支流である伊香氏の祖伊香津臣命とを合わせ祀る。延喜式神名帳所載の、式内社であり、神階は正一位と伝えている。 爾来明治初年に至るまで、「若一権現」と号して栄え、かっては広大な神域を有し、この辺一帯「己爾乃庄」とも呼ばれた。現在の鎮座地名 「列系図」は、むかし神主の子孫が住んだ地と言われている。代々開発の氏子をはじめ、隣村や京都の人にまで篤く崇敬されて、今日に及んでいる。 社頭石碑 |
己爾乃神社 人皇53代淳和天皇の天長6年に伊香厚武が創建したと社伝は記している。伊香厚武とは、伊香宿禰豊厚を大祖とする11代目の末孫であり、大夫厚武と称した。故に創建時の祭神は天児屋根命と伊香津臣命を奉斎したのである。明治14年に伊邪那岐命、伊邪那美命を合祀した。延喜式神名帳に記載されている野洲郡九座の内の一座、である。又、吉田家より「正一位若一大権現」の神階を受け、現在もそれを明記した神鏡を有している。中世以来近世まで、遠野山若一王子、蓮光寺との関係が深く、遷座の折は必ず同時となっていたと伝えられている。 滋賀県神社庁 |
己爾乃神社 二座 己爾乃は假字也○祭神在所等詳ならず 神社覈録 |