新川神社
にいかわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】上新川神社 近江国 野洲郡鎮座
          (旧地)新川神社【旧地】

   【現社名】新川神社
   【住所】滋賀県守山市立入町 123
       北緯35度3分18秒,東経136度0分21秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】
   【神宮寺】東福寺と呼ばれる神宮寺が社地に隣接している

このあたり一帯はもともと立入庄と呼ばれた古郷であり、野洲川の氾濫によつて立入庄が二分されて、一方は野洲町に、一方は旧守山町に分離したのである。おそらくその折に、分割された方の立入庄にもとの鎭守神たる新川社を奉祀した(当社)ので、結果として新川神社は河を挟んでの二社を存することとなった。
当社を野洲市野洲鎮座の新川神社の分霊社と見る説もある。
旧社地については@野洲川河川公園・バスケット場付近、A野洲新川社現社殿の上・野洲川河川敷とする2説がある。


新川神社

新川神社は、野洲川の司水神を祀る神社です。
主祭神は小楯比売命。
新川神社の社伝では、白鳳元年(672)に祭神・物部大新川尊を勧請(分祀)したとあります。近江国輿地志略(1734)には、新川大明神は土俗立入村十禅師の分身なりとあります。
弘治2年(1556)の社伝には、霊亀2年(716)に大新川神霊を邑に分祀すると伝えられています。また、言い伝えによると、立より34戸が野洲に分かれたとされています(野洲市野洲には立入姓が多い)。
滋賀県神社誌には、以前の社殿は現在地上流の野洲川河川内(現河川公園バスケット場付近という)にあったと記載され、言い伝えによると、洪水で御神体が現在の場所に流されてきたといわれています。
日本書紀等の六国史中・日本三代実録では、貞観11年(869)12年条に、新川神と記し神階正五位下が与えられ、仁和元年(885)9月には新川上神と記し、正五位上が与えられています。
この16年の間に新川神社は上社と下社に分かれたことがうかがわれます。
平安時代の延喜式(927)では、新川神社という名前は消え、上新川神社と下新川神社となり、ともに式内社に列しています

社頭掲示板



新川神社

社伝によれば、霊亀二年に大新川神霊を野洲と幸津川二邑に分祀するとあり、「延喜式」神名帳に記載の上新川神社、下新川神社の上社である。「近江輿地志略」には正一位新川大明神は「土俗云、立入村十禅師の分身なり」とあり、創祀は河川の氾濫を守る為、野洲川のほとりに司水神として祀られた社であり、現社殿の上野洲川河川敷に旧社殿跡がある。明治41年村社に指定。

滋賀県神社庁



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