淺殿神社
あさどのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】比利多神社 近江国 野洲郡鎮座

   【現社名】淺殿神社
   【住所】 滋賀県野洲市比留田693
       北緯35度6分27秒,東経136度1分13秒
   【祭神】積羽八重事代主神 (配祀)大国主神
       (合祀)天御中主神 宇賀之御魂神 木花之佐久夜毘売命

   【例祭】4月第2日曜日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・手水舎・庫

   【境内社】

比利田神社は、建久年中(1190〜1199)に比留田の地(現地)から二宮神社に遷という。


淺殿神社

浅殿神社御由緒
積羽八重事代主神
大国主命
天之御中主神 (旧 秩父神社)
宇賀之御魂神 (旧 稲荷神社)
木花佐久夜姫命 (旧 富士神社)
4月10日
神名帳考に比利多社在此留田村、又大日本神祇誌には、比利多神社今在比留田村とある。
口伝によれば、祭神の積羽八重事代主神は、兵主大社の祭神大国主命の子孫であるため、その社の近くにまつると伝えている。
比利多神社を浅殿と称するのは、降神歌に「阿波里夜遊姿須止浅表佐奴  阿佐久良弥天津於理万志麻世」とあり、阿佐にて阿佐久良とも阿佐殿とも呼称していたと考えられる。よって、久良すなわち座も殿も共に座す処をさす為、浅殿と呼ばれた。故に神の座す処を阿佐野といい、神殿を浅殿というと伝えられる。

社頭石碑



浅殿神社

兵主神社所管社二十一社の一。比留田神社とも称す。延喜式内社。大国主神は、兵主神社祭神、本来祭神は、三神であったが、鎌倉時代に三神のうち悪王子神が、隣の西河原二ノ宮神社境内に移された。その事情は、建久の頃に鎌倉将軍源頼朝が兵主神社に参拝の際、乗馬に異変が生じたため、里人に霊神の有無を尋ねたところ、当社のことを告げたので、頼朝は三神のうち悪王子神をいずれかに転座するよう、命令を下したためとつたえる。また、浅殿の語源は、降神歌に「阿波理夜遊婆須止麻素佐奴阿佐久良爾天津於理万志麻世」とある。「阿佐」に基き、「阿佐久良」とも「浅殿」ともいう。なお当社の旧記類は、享保年間の洪水に全て流失したため、詳細は不明である。

滋賀県神社庁



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