比利田神社は、建久年中(1190〜1199)に比留田の地(現地)から二宮神社に遷という。 |
淺殿神社 浅殿神社御由緒 積羽八重事代主神 大国主命 天之御中主神 (旧 秩父神社) 宇賀之御魂神 (旧 稲荷神社) 木花佐久夜姫命 (旧 富士神社) 4月10日 神名帳考に比利多社在此留田村、又大日本神祇誌には、比利多神社今在比留田村とある。 口伝によれば、祭神の積羽八重事代主神は、兵主大社の祭神大国主命の子孫であるため、その社の近くにまつると伝えている。 比利多神社を浅殿と称するのは、降神歌に「阿波里夜遊姿須止浅表佐奴 阿佐久良弥天津於理万志麻世」とあり、阿佐にて阿佐久良とも阿佐殿とも呼称していたと考えられる。よって、久良すなわち座も殿も共に座す処をさす為、浅殿と呼ばれた。故に神の座す処を阿佐野といい、神殿を浅殿というと伝えられる。 社頭石碑 |
浅殿神社 兵主神社所管社二十一社の一。比留田神社とも称す。延喜式内社。大国主神は、兵主神社祭神、本来祭神は、三神であったが、鎌倉時代に三神のうち悪王子神が、隣の西河原二ノ宮神社境内に移された。その事情は、建久の頃に鎌倉将軍源頼朝が兵主神社に参拝の際、乗馬に異変が生じたため、里人に霊神の有無を尋ねたところ、当社のことを告げたので、頼朝は三神のうち悪王子神をいずれかに転座するよう、命令を下したためとつたえる。また、浅殿の語源は、降神歌に「阿波理夜遊婆須止麻素佐奴阿佐久良爾天津於理万志麻世」とある。「阿佐」に基き、「阿佐久良」とも「浅殿」ともいう。なお当社の旧記類は、享保年間の洪水に全て流失したため、詳細は不明である。 滋賀県神社庁 |