古くより川田神社として地主神を奉斎していた。 当社を式内川田神社に比定する説あるが、川田神社(甲賀市土山町頓宮)と混同しているとも思われる。詳細は不詳。 |
瀧樹神社 古くより川田神社として地主神を奉斎し、垂仁天皇四年倭姫命は、天照大神を奉じて近江国甲賀郡垂井日雲宮に至り、ここに座する事四年、この間川田神社にて調膳を司った関係で、大神に神縁深い滝原宮より仁和元年速秋津日子神、速秋津比賣命の二柱の分霊を勧請し之を地主神の城内に合祀し社号を川田神社滝大明神とし岩室郷頓宮牧の産土神と崇め奉り郷中の総社とし、祭礼儀式は特に鄭重を極めた。応永年中地頭岩室主馬頭橘家後が樹の文字を加へ奉り滝樹大明神と改号した。旧社格は郷社。神宮寺は明治まで観音寺としてあった。 滋賀県神社庁 |
瀧樹神社 この神社の由来は、約2千年前からの神聖なる地として、知られている神社である。 倭姫命が、巡幸された時、この場所に朝夕の調膳の殿舎を建立されたところであり、さらには斎王郡行の斎王が禊をされた川が近くにある。 平安時代の仁和元年(885)に伊勢国、瀧原宮の長由介の宮の御祭神、速秋津比古之命・速秋津比灯V命の御分霊を勧請して本社の主祭神としている神社である。 室町時代の文明2年(1470)には、当時の領主であった岩室主馬頭家俊と云う人が京都北野天満宮の御祭神で学問の神と云われている菅原道真の御分霊を勧請しそれを本社に遷宮され、並宮として祭祀されている。 また延徳元年(1489)には現在国の選択無形民俗文化財に指定していされているケンケト踊おどりがはじめて奉納され今日に至っている。 また平成17年(2005)には本殿・拝殿が大改修新築され同時に境内の全面的な整備がなされ、神社の一層の荘厳さを増している。 祭礼日は、毎月5月3日で当日はケンケト踊おどりをはじめ花奪神事・神輿の渡御も行われ盛大なる祭りで世に知られている。 社頭掲示板 |