川田神社
かわたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川田神社 二座(並名神大/月次新嘗) 近江国 甲賀郡鎮座

   【現社名】川田神社
   【住所】滋賀県湖南市正福寺 139
       北緯35度1分19秒,東経136度4分28秒
   【祭神】天児屋根命
   【例祭】5月1日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       元亀元年(1570)5月兵火で焼失
       慶長5年(1600)再興
       明治9年10月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿一間社流造
       拝殿・社務所・献燈舎・手洗舎

   【境内社】
   【別当】蓮花坊・岡本坊という別当寺があつた

元亀元年(1570)5月、六角承禎が織田信長と野洲川で封戦したとぎ、正福寺が織田方に加勢したので、六角方に正福寺と共に当社も焼かれた。
慶長5年(1600)に再興


川田神社

夫れ川田大明神は近淡海の州甲賀の県 日雲の荘(一には緋雲に作る)夏見の郷正福寺の里の御神座にて聊の縁由の次第は祭る所は二座にて天湯川桁命、天川田奈神なり。
人皇四十五代聖武天皇の御宇天平五癸酉の載、百済良弁法華大乗峰山正福寺を開基せらるるの砌、勧請せらるるの所にて貞観元年正月27日川田神従五位下を授けらる。同5年(癸年)12月近江国阿度川田神従五位上を授けらる。
則ち阿刀宿根、饒速の法 鏡日命の後也。同じく十年戊子八月十日官符に依りて宣す。又、文治元年(乙巳)十二月社殿は之を修造す。
祭儀は毎年卯月初めの申の日之を奉行す。正福寺村・菩提寺村の土産の神にして倶に祭儀に預かる。
棟札に銘在りて曰く、正嘉二戊子年四月十三日正福寺円乗院良春律師と菩提寺最勝院光岳律師の公文所両寺の二人謹んで言く。川田の社は祭る所の神の位は延喜式の神名帳に録せらる甲賀郡八座の一なる川田神社と同じき神体なり。
貴賤を論ぜず抽すべし、信に祭儀を念ずれば霊験岐度疑いなき者なり。
後の者の為に文を記録し畢しぬ。
文明四壬辰の年夏
供侶 大乗山住 夏見寂意
下司 青木治部尉 頼政

社頭石碑



川田神社

県指定文化財 木造神像 川田神社 
昭和47年4月1日指定
川田神社(旧村社)の祭神は、天児屋根命である。
由緒は、『延喜式明神帳』に「甲賀等八座の内、川田神社二座名神に列し四度の官幣に預る」とある。また『三代実録』に「貞観元年(859)正月27日甲申奉授近江国従五位下川田神従五位上」とある。したがって貞観元年正月に当社が建立されたことは明らかである。
神像は、男神像一体、女神像三体、他一体である。
いずれも彩色されていたらしいが、現在は全て剥落していてその名残が少しあるだけである。像はすべて桧材の一木彫りで、男像は冠をいただき像高69cm、女像は50cm、47cm、39cmで、他の一体は火にあい炭化が激しい。
神像を安置する社殿(町指定文化財)は、流れ造りで素屋にはいっている。上棟札に「慶長5年(16000)庚子4月18日上棟」と記されている。
本殿正面350cm、奥行483cm、高さ226cmである。
境内には、南北朝時代の石造宝塔(町指定文化財)もある。
平成2年11月
甲西町教育委員会

社頭掲示板



川田神社

創祀年代不詳、式内社甲賀八座の内の川田神社は、当社ではないかとの説がある。式内社川田神社は三代実録に「貞観元年正月27日奉授近江国従五位下川田神社従五位上」とみえる。

滋賀県神社庁



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