吉姫・吉彦の裔である多気連が祀る社であるとされている。 旧社地は大字石部字上田で小字古宮の一部の小丘は旅所として旧社地の名残りを止めている。 現在の社地に移つたのは寛保3年(1743)。 |
吉姫神社 近江国甲賀郡に式内社の石部鹿鹽上神社が鎮座していたが、今日、吉姫神社、吉御子神社を後裔社としている。 近江の石部神社の祭神は三輪の大物主神の子の天日方奇日方命が多いが、この神と吉姫、吉御子との関連が今の所不明。 越前國今立郡(福井県鯖江市磯部町)の石部神社の祭神が吉日古命、吉日売命(エヒコ、エヒメ)となっている。多気連が祖先を祭ったと言う。『倭姫命世記』18年に記されている。 当地は交通の要衝で、後世は石部宿と呼ばれており、伊勢への道筋であった。倭姫命の巡幸路としても登場し、活目入彦五十狭茅天皇(垂仁天皇)の四年、淡海国甲賀の日雲宮に遷り、四年間奉斎。とある。甲賀郡には日雲神社は三座鎮座、石部、磯部、多気、吉日古命、吉日売命との連想も働く。 当地や当地一帯の野洲などから多くの銅鐸が出土している。即ち銅鐸祭祀氏族の居住地であり、所謂天孫族以前の祭祀が行われていたようで、倭姫になぞらえるよりは、国津神系統の祭祀だったのであろう。 http://www.kamnavi.net/en/oumi/yosihime.htm |
吉姫神社 祭神 上鹿葦津姫神 吉比女大神 配祀神 木花開耶姫 例祭 5月1日 勅使記念祭 9月21日 由緒 創祀年代不詳。御旅所のある上田の地に斎き祀られていたが、明応年度兵火によりこれを焼失し、天文3年に現在の地に祭祀された。 江戸時代においては社号を上田大明神社としており、明治元年許可を得て旧社の上田大明神社を改称して現在の社号の吉姫神社となった。 明治元年9月明治天皇御東幸の際、神祇判官植松少尉を使いとして参向せしめ幣帛料を下賜された。 本殿 室町時代 天文3年(1534年)の再建 一間社流造 間口一間三尺 奥行一間一尺 拝殿 入母屋造 間口三間 奥行三間 境内地 摂社 世継神社(天忍穂耳命) 末社 出世天満宮(菅原道真公) 和田津見神社(水波之売命) 稲荷社(宇迦之御魂神) 宝物 神輿(市支化財) 社頭石碑 |