創建は白鳳元年(673)、源頼朝が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合祀して若宮八幡宮と称した。寛永9年(1632)水口城が築城された時、城主が守護神として崇め、以後歴代城主の祈願所になり、明治4年に名称を柏木神社に改めた。楼門は織田信長により安土の総見寺に移築された。 |
柏木神社 祭神 大己貴命(大国主命) 配祭神 誉田別命(応神天皇)・川島皇子 祭典日 例祭 4月20日 八幡祭 9月14日・15日 本殿 木造・桧皮葺・流れ造り・三間社 由緒 当神社創は、白鳳元年(673)に、日吉宮と称して大己貴命をお祀りしていた。建久年間(1190)源頼朝が、鎌倉の鶴が岡八幡宮の御分霊を合祀して多くの神田を寄付した。以後社名を若宮八幡宮と称し、柏木荘十六か村の鎮守のお社として栄えた。 天正8年(1580)織田信長の軍勢が当地を攻めた時、桜門は安土の宗玄寺に移築され、宝物・古文書等は焼失した。 寛永9年(1633)に水口城が築かれた際に、城主が当社を守護神として崇め、以後、歴代城主の祈願所になった。 承応4年(1655)に水口城代の山口但馬守は本殿・桜門を修復し、石灯籠・手水鉢を寄進した。 明治4年、社名を柏木神社と改めた。昭和20年、県社に昇格する。この社は五穀豊穣・病気平癒・除厄・交通安全などの祈願が多い。 平成6年3月吉日 水口町 社頭掲示板 |
柏木神社 社伝によれば創祀は白鳳以前と伝えられ、もとは日吉山王を奉祀し、建久年間源頼朝上洛の折、鶴岡八幡宮の御分霊を合祀した為、若宮八幡宮と呼ばれるようになったが、維新以後更に柏木神社と改称した。柏木は中世より柏木御厨の本郷で、元徳3年の検注帳に神田三町の社領があった。京の公家飛鳥井雅康は戦乱をのがれこの地に閑居し、以後子孫は当社の祠官として仕えた。 近世に於いては柏木庄十六ヶ村の総社となる。その氏子の範囲も地元北脇のほか林口、美濃部、松尾、判谷の各集落にわたっていた。又、水口域代山口但馬守弘隆崇敬の念篤く、幾多の寄進のあったことが古文書に記されている。 立地条件に恵まれ、厄除、病気平癒の祈願多く、芸能の神としても信仰が篤い。明治9年村社、大正11年郷社、昭和20年県社に加列された。 滋賀県神社庁 |
柏木神社 祭神 大己貴命(大国主命) 配祭神 誉田別尊(応神天皇)・川島皇子 祭典日 例祭 4月20日 八幡祭 9月14、15日 本殿 木造・檜皮葺・流れ造り・三間社 由緒 当神社の創建は、白鳳元年(673)に、日吉宮と称して大己貴命(大国主命)をお祀していた。 建久年間(1190)源頼朝が、鎌倉の鶴が岡八幡宮の御分霊を合祀して多くの新田を寄付した。 以後社名を「若宮八幡宮」と称し、柏木荘十六か村の鎮守のお社として栄えた。 天正8年(1580)織田信長の軍勢が当地を攻めた時、楼門は安土の宗玄寺に移築され、宝物・古文書は焼失した。 寛永9年(1632)水口城が築城された際に、城主が当社を守護神として崇め、以後、歴代城主の祈願所になった。 承4四年(1655)水口城代の山口但馬守は本殿・楼門を修復し、石灯籠・手水鉢を寄進した。 明治4年、社名を柏木神社と改めた。 昭和20年、県社に昇格する。 病気平穏、厄徐、交通安全などの祈願が多い。 平成6年3月吉日 水口町 社頭掲示板 |