吉姫・吉彦の裔である多気連が祀る社であるとされている。 もとは小字黒乃御前にあつたが、弘仁2年(811)山崩れによつて、いまの土地に遷座したとしている。 |
吉御子神社 重要文化財 吉御子神社本殿 大正10年4月30日指定 三間社流造 檜皮葺 江戸時代 本神社は鹿葦津姫命、吉姫命、吉彦命、応神天皇、猿田彦大神を祭神とし、その起源は律令時代に遡るが、現存社は慶応三年(1867)山城国上加茂神社の旧社殿を請けて造営竣工したものである。本殿は東に面し、内陣と外陣とに分かれている。内陣には重要文化財指定の吉彦命坐像及び隋神坐像二躯を祀ており、本殿の正面には三間の向拝をつけ匂欄、擬宝珠、金具共にその様式は簡素ではあるが、我国の流造建築の代表的なものである。 平成9年3月 石部町教育委員会。 社頭掲示板 |
吉御子神社本殿 重要文化財の建物 元治元年(1864)社殿が大破したので、慶応元年(1865)山城加茂別雷神社の旧社殿を譲り受けて本殿とした。この本殿は加茂別雷神社正殿の旧型で建築史上重視され、構造は簡素で勾欄・擬宝珠・金具など造営當時のものが残されている。 社頭掲示板 |
吉御子神社 御祭神 吉彦命 鹿葦津姫命 吉姫命 配祀神 応神天皇 猿田彦命 由緒 崇神天皇68年(前30)石部山に御神降があり、吉彦、吉比女神を黒の御前に祀つていたが、弘仁3年(812)現鎮座地に移し、承平5年(935)吉比古、吉比女を末社より本社に遷座し吉御子神社と称した。 現社殿は京都上賀茂神社の旧社殿を慶応元年(1865)に移築したもので重要文化財に指定されている。 宝物 吉彦命木造坐像(重要文化財) 社頭掲示板 |
吉御子神社 社伝によれば崇神天皇六十八年に神降があり、垂仁天皇2年に宇加之彦の子、吉比古・吉比女の神を、谷黒の御前に祀ったのが創祀とされている。嵯峨天皇弘仁3年現社地に奉遷し、承平五年より社号を吉御子神社と称している。中世以前は社領及宝物も多くあったが、長享年間に六角氏によって押領され、今は字名として御神田の名を残している。元治元年社殿が大破し、上加茂社より旧社殿を移築したのが現在の本殿で、延喜式神名帳所載の甲賀八座中の石部鹿塩上神社は当社ではないかとの説がある。旧社格 村社 滋賀県神社庁 |