佐久奈度神社
さくなどじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐久奈度神社(名神大) 近江国 栗太郡鎮座
          (旧地)佐久奈度神社【旧地】

   【現社名】佐久奈度神社
   【住所】滋賀県大津市大石中町56
       北緯34度54分41秒,東経135度54分45秒
   【祭神】瀬織津姫命 速秋津姫命 氣吹戸主命 速佐須良姫命
        (合祀)大山咋神

   【例祭】4月16日近い日曜日
   【社格】旧県社
   【由緒】天智天皇8年(669)この地に神殿を設けた
       仁寿元年(851)6月13日名神に列した『文徳実録』
       貞観元年(859)正月従五位上『三代実録』
       後白河上皇社領寄進
       延応元年(1239)鎌倉幕府乱暴を制止
       天正13年(1585)渡辺勘左衛門寄進
       元和4年(1618)膳所藩主本多康俊社領寄
       正保3年(1646)正月石川忠総寄進
       慶安4年(1651)本多俊衣寄進
       明治3年琵琶湖大洪水
       明治9年10月村社
       大正10年5月3日県社
       昭和39年現地に移転


   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は境内河岸
       昭和39年現地に移転

   【祭祀対象】激しい流水
   【祭祀】
   【公式HP】 佐久奈度神社
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神饌所・齋館・参集殿・社務所・手水舎・神輿庫

   【境内社】焼鎌神社・敏鎌神社・稲荷神社・八幡神社・橋守神社

現在の社地は天ケ瀬ダム築造にあたつて、水没の危険から近隣の丘陵地に昭和39年移転したもので、旧社地は瀬田川畔に位置し、老杉の繁る木立の間から、満々と水をたたえた瀬田川の急流が、河底一ばいに凹凸する奇岩を噛んで白波を立てているのが間近に見えた。
いま旧社地は建物を一棟も残さず、僅かに旧社地を明示する石柱が建てられている。


佐久奈度神社

この神社の由来は古く、佐久奈太理、散久難度などといわれ、延喜式内の大社とし、また天下の祓所として著名である。
本殿はもともと河原近くで低かったが昭和39年ここへ移転された。大石義雄の曾祖父奉納の著名な絵馬がある。
大津市

社頭掲示板






佐久奈度神社

御祭神
瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)
気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)
速佐須良姫命(はやさすらひめのみこと)
 佐久奈度神社は天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓を創し祓戸大神四柱を奉祀した。当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。
 文徳実録に「仁寿元年6月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。
  三代実録には「貞観元年正月27日奉授近江国佐久奈度神 従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名 神大社に列するなど当地方の名社であった。
 以来朝野の崇敬厚く後白河上皇は社領を加え寄進されたことが社記にみえ、豊臣家臣渡辺勘左衛門、膳所藩主本多康俊、石川忠総などからも社領が寄進されている。
 又、「忠臣蔵」で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を祈って奉納した絵馬 が残っている。大石家は当地の出であり、良勝は赤穂浅野家にはじめて仕えた人で ある。
 現境内地は昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い旧境内地が水没地となり移転したものである。
 明治9年村社、大正10年県社に加列。佐久奈度神社御旅所
大津市指定の文化財。本社より500mほど南に 行ったところに位置する。春のお祭りには神輿が 約二週間納められる。 建物は鎌倉時代の本社の古材を用いて建てられ、 特に向拝の蛙股にほどこされた彫刻は見事である。 宝 物
大石蔵之介良勝奉納の絵馬 大津市指定文化財。
いまもテレビで人気を集めております「忠臣 蔵」で有名な大石蔵之介良雄の出た大石家は、 近江国大石荘(現 滋賀県大津市大石)の出 身です。良雄の曾祖父良勝のとき浅野長重に 仕え、大阪の役で活躍して千五百石の家老と なりました。この絵馬は、良勝が氏神の加護 に感謝して寛永六年(1629)奉納したものです。 伊勢神宮より納められた 神剣と鼻高面
古来より伊勢の神宮にお参りするには、まず佐久奈度で禊ぎをするのが慣わしでした。当地(大石)の語源も忌伊勢(おいせ・・伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされています。 このような関係から伊勢の神宮より納められた神剣と鼻高面が伝えられております。
日時 時間 行事 内容
1月1日 午前零時 元旦祭 年明けと共にご本殿のお扉を開きお供えを奉る
午前9時30分 同 新しい年のご加護を願う
1月3日   山の神 氏子各町に祀られた山の神のお祭
2月1日 午前9時30分 厄除け祭 その年の厄年に当たる人々のご祈祷
当社では「二正月」といわれ2月1日に行う
その他休日等にもご祈祷いたします
2月18日 午前11時 祈年祭 その年一年の豊作、あらゆる産業の発展を祈る祭
4月3日 午後1時 神幸祭 この日より春の大祭がはじまる
通称「節句」 神輿が御旅所まで渡御をし還幸祭の日まで御旅所にまつる
4月16日 午前10時 例大祭 春の大祭の本日
本殿にて祭典を行う
4/16に近い日曜 午前10時 還幸祭 節句に御旅所に渡御した神輿が氏子町内をくまなく巡行 本社へ還幸する
6月30日 夕刻 大祓式 前半年の罪穢れを祓う
当社では7/31に大規模に行う
7月1日 午前9時 お田植え祭 五穀豊穣を願う祭
7月31日 午前9時30分 御手洗祭 旧暦にあわせた大祓のお祭
由緒のうえから最も重要な祭
前半年の罪穢れを祓い 清らかな心身で夏を越すことを祈る
11月15日 随時 七五三祈祷 11/15の七五三を中心に随時ご祈祷
11月30日 午前11時 新嘗祭 収穫に感謝し神前に新穀を供える
12月3日 午後3時 お火焚祭 通称「みかんぐら」
収穫に感謝するまつり
子供達が集まり「みかん撒き」の行事が行われる
12月31日 夕刻 大祓式 後半年の罪穢れを祓い新年を迎える
午後11時 歳晩祭 一年のご加護に対し感謝のおまつり
午後11時30分 古神札焼納祭 1年間お世話になったお札を焼納
【 由 緒 】    
   神道は「祓い【はらい】に始まり、祓いに終わる」と言われております。
 その祓いと禊ぎ【みそぎ】をつかさどる祓戸の大神を祭る総本宮が佐久奈度神社です。当社は、朝廷が飛鳥より近江大津宮に移ったのを期に、天智天皇8年(669)、天皇の勅願により中臣朝臣金連【かねのむらじ】がこの地に社殿を造り、「祓戸の大神三神」を祭ったのが始まりです。
  この地は八張口、桜谷と呼ばれ「山岳裂けて低下の所を開くところがその名の由来であると社記に記されております。瀬田川の急流のつくる奇岩で古くから景勝地として知られ、『蜻蛉日記』『夫木抄』『名寄』などにも歌が詠まれています。また、近くにそびえる太神山【たなかみやま】には巨大な磐座【いわくら】もあり、農耕を守る神の山といわれ水がとりなす古代祭祀の香りを充分に伝えております。
  大自然のふところに抱かれる聖地ゆえ、平安時代より唐崎神社(滋賀県大津市唐崎)と共に天皇の厄災を祓い平安京を守護する「七瀬の祓所」のひとつとして古くからその名を知られておりました。 『文徳実録』に「仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあり、仁寿元年(八五一)「明神」となります。『三代実録』には「貞観元年正月二十七日奉授近江国散久難度神従五位上」と見え、貞観元年(八五 九)に従五位上の神階を授けられました。平安時代の有力大社がのる『延喜式【えんぎしき】神名帳』にも名神大社としてその名が載っております。
 以来、皇室・武門武将の崇敬があつく、後白河上皇、豊臣家臣渡辺勘左衛門、謄所藩主本多康俊、石川忠総などから社領が寄進され、「天下の祓所」としてその名をはせました。
  古来より伊勢神宮に参拝するには、まず当社で禊ぎをするのが習わしとされ、当地「大石」の語源も忌伊勢 (おいせ…伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされています。
  また、特筆すべきことは神道における最高祝詞である『大祓詞【おおはらえのことば】』のもとである『中臣大祓詞』は当社が創始地であるということです。古来より当社に伝わる祓詞が、文武天皇の時代に勅使がつかわされ『中臣大祓詞』として増補制定されました。さらに明治時代になり、国家の管理となった神社界において新たに祝詞が制定されました。それが『中臣大祓詞』より抜粋された『大祓詞』なのです。
  各地の神社では6月と12月の晦日に奏上され、国中の罪穢れを祓うために大祓祭を行っています。また、伊勢神宮などの著名な神社では人々の祈願やお祭りのたびごと毎日のように唱えられています。
 昭和39年、下流の「天ヶ瀬ダム」建設に伴い旧境内地が水没予定地となるため、河畔にあったご社殿をやむなく高台に移し、現在に至っております。
 明治9年10月に村社、大正10年5月に県社に昇格いたしました。また、現在では祓戸の大神が四神ともご本殿にお祭りされ、祓戸の大神総本宮としてますます御神威をはなっております。
【 ご祭神 】    
  瀬織津姫尊 セオリツヒメノミコト 川の神
  遠秋津姫尊 ハヤアキツヒメノミコト 海の神
  気吹戸主尊 イブキドヌシノミコト 風(息吹)の神
  速佐須良姫尊 ハヤサスラヒメノミコト 地底(霊界)の神
   ご祭神は「祓戸の大神四神」といわれ、個人や社会の禍事【まがごと】と罪【つみ】、穢れ【けがれ】を祓ってくださる祓いと禊ぎ【みそぎ】をつかさどる神々です。
  〈禍事〉とは曲がっていること、〈罪〉とは汚れに包まれていること、また汚れがたくさん積もっていること、〈穢れ〉とは気枯れすなわち〈気〉が枯れている状態をいいます。物事が偏りはじめると禍事になり、そこから罪穢れが発生するのです。
  祓戸の大神のうち三神が生命を育む女神であり、川は飲み水、海は生命の根源として、また、呼吸は人間に不可欠なものであり、霊界はこの世を裏で支える存在として、それぞれが私たちにとって大切なものなのです。まさしく人間だけでなく、地球上の生命にとっても根源的なご神徳を備えた神々が祓戸の大神です。
 祓戸の大神のつかさどるミソギは「身削ぎ」で身(ミタマ)の垢を削ぐことです。いわば、自分の我欲の心から出た〈アカ〉を削ぎ落とすのが、ミソギなのです。
 ミソギの起源は神話のイザナギノ尊とイザナミノ尊の夫婦神の物語に由来します。『古事記』によりますと、イザナギノ尊とイザナミノ尊は、天つ神たちの命令で日本の国土を生み、たくさんの神々を生みます。ところが、最後に火の神を産んだためにイザナミノ尊は火傷を負われ、それが元で死んでしまいます。イザナギノ尊は大変悲しんで黄泉【よみ】の国(死後の世界)まで行きイザナミノ尊を連れ戻そうとしますが、そこで変わりはてた妻の姿にビックリしてこの世へと逃げ帰ってきます。この黄泉の国からの帰路、イザナギノ尊は川でミソギをして身を清めます。するとたくさんの神々が生まれ、祓いをつかさどる祓戸の神々も生まれました。
瀬織津姫尊  
   「祓戸の大神四神」の名前は『古事記』や『日本書紀』には直接登場しませんが、いくつかの古い文献にはその名が見られ、なぞの多い神々とされています。
  神道の最高祝詞である『大祓詞』には「高山の末短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比売という神、大海原に持ち出でなむ」とあります。勢いよく流れ下る川の力によって人々や社会の罪穢れを大海原に押し流してしま う、川に宿る大自然神であることがわかります。
  『大祓詞』の最古の注釈書といわれる『中臣祓注抄』では、「速川の瀬」を「三途の川なり」と説明しており、『神宮方書』においては「瀬織津姫は三途川のうばなり」と書かれております。人々が犯した罪穢れを剥ぎ取り、生まれたままの姿に戻す働き の神であるともいえます。
速秋津姫尊  
   イザナギノ尊のミソギで生まれた神が「伊豆能荒神【イズノメノカミ】」で、罪穢れを清める神とされます。この神がハヤアキツヒメノ尊です。
  『大祓詞』には「荒潮の潮の八百道の八潮道の八百会に坐す速開都比売(速秋津姫)と云う神持ちかか呑みてむ」とあり、 海の神であるハヤアキツヒメノ尊が、大海に流れ出た罪穣れを勢いよく呑み込んでしまいます。
 江戸中期の国学の四大人といわれた本居宣長【もとおりのりなが】は、『古事記伝』の中でこの神は「水戸(河と海の境)の神」でありながら「潮の八百会(あの世とこの世の境)に坐す」神であり「河よりでる所と、彼方へでる所の差こそあれ、共に同じく「水戸」なる古伝の趣の妙なる事かくの如し。よくよく味わふべし」と著してこの神のご神徳の広大さを説いています。
気吹戸主尊  
   同じときに生まれた神が「神直日神【カムナオヒノカミ】」です。日本の神話には完全な悪は存在しません。かわりに「禍」とか「邪」という言い方をします。つまり、本来はまっすぐだったものが、途中で方向が曲がってしまっただけだという考えです。この神はこのような曲がった状態をまっすぐにして、本来の直日(直霊=自己)に戻す働きをする神です。『倭姫命世紀』『中臣祓訓解』では、この神がイブキドヌシノ尊であるとしています。
  『大祓詞』には「かくかか呑みては、気吹戸に坐す気吹戸主という神、根の国底の国に気吹き放ちてむ」とあり、ハヤアキツヒメノ尊が海に呑み込んだ罪穢れを風の神であるイブキドヌシノ尊が根の国底の国(地底)に吹き放ちます。古神道の行法のひとつに身体の邪気を吹き払う「気吹祓い」というものがありますが、息吹(呼吸)と気吹は同じものだとする古代人の直観力には鋭いものがあります。
 ちなみにこのミソギが終わって最後に生まれるのが「三貴神(三桂の尊い神)」といわれるアマテラス大神・ツクヨミノ尊。タケハヤスサノオノ尊です。ここには、心身をミソギしてきれいにし、新たなる生命力に復活した後にこそ、尊い存在が生まれるという思想が隠されています。
遠佐須良姫尊  
   『大祓詞』には「かく気吹き放ちては、根の国底の国に坐す速佐須良比売という神持ちさすらい失いてむ」とあり、イブキドヌシノ尊によって気吹き放たれた罪穢れが根の国底の国に住むハヤサスラヒメノ尊により浄化され消滅し、大祓詞の最後にある「罪という罪はあらじ」という状態になります。これで個人も社会も、病んでいる気から元の気へともどり文字通り「元気」になるわけです。
 江戸時代の本居宣長は、速佐須良姫尊はスサノオノ尊の御子神「須勢理毘売尊【スセリヒメノミコト】」だとしています。
   祓戸の大神は発生したケガレをハライ(外面を清め)、ミソギ(内面の浄化)をし、ハレ(気枯れの回復・ハレ舞台のハレ)の状態にしてヨミガエリさせる、ご神徳があるのです。まさに「ヨミガェル」は「黄泉帰る」と同じで、イザナギが黄泉の国から帰り、ミソギをしてヨミガエったように個人も社会もリフレッシュして、新たなスタートがきれるのです。
 現在、祓戸の大神たちを主神に祭っている神社は、全国的にみてとても少ないのが現状です。しかし、日本人の生活の中に今も残る「水に流す」という習慣が『ミソギをして新しく生まれ変わる』という祓いの概念が起源であることを考えれば、その意味に於いても当社の存在意義は大きく、現代人に『ミソギの思想』を伝えるべく大きな役目があるといえましょう。 『倭姫命世紀』には、日本の代表的な神社である伊勢神宮に祓戸の大神のうち三神が祭られているという伝承が載せられています。
  瀬織津姫尊・・・伊勢神宮内宮・荒祭官(天照大神の荒魂として祭る)
  速秋津姫尊・・・伊勢神宮内宮・滝沢宮並宮
  気吹戸主尊・・・伊勢神宮外宮・多賀宮(豊受大神の荒魂として祭る)
伊勢神宮に行かれた際にはご参拝されるとよいでしょう。
禊祓詞  
   また、前述した『大祓詞』の他に『禊祓詞』がありますが、ミソギとハライを端的にあらわす祝詞として最も一般的で力のある言葉ですので、日常生活や神社参拝のときに唱えるとよいでしょう。
  禊祓詞
  たかまのはらに かむづまります かむろぎかむろみの みこともちて
  高天原に神づまり坐す 神魯岐神魯美の命以て
  すめみおや かむいざなぎのおおかみ つくしの ひむかの たちばなの
  皇御祖神伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の
  おどの あはぎはらに みそぎはらひ たまひしときに あれませる
  小門の阿波岐原に 禊祓ひ給ひし時に生れ坐せる
  はらへどのおおかみたち もろもろのまがごと つみけがれあらむをば
  祓戸の大神等 諸々の禍事罪穢あらむをぱ
  はらへたまひ きよめたまへと まおすことの よしを
  祓へ給ひ清め給へと白す事の由を
  あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともに きこしめせと
  天津神 国津神 八百万神等共に聞食せと
  かしこみかしこみも まおす
  恐み恐みも白す
【 ご神徳 】    
  厄除け・諸願成就・家内安全・交通安全
五穀豊穣・国家安泰・商売繁盛
学業成就・縁結び・安産
産土【うぶすな】の大神・鎮守【ちんじゅ】の大神・総鎮守【そうちんじゅ】
   産土の大神とは文字通り「産まれた土地」の守り神です。「産」は産湯、産声など、誕生に関係した言葉にその名残があります。産土の大神はその土地に産まれた人間(産子)を生まれてから死ぬまでを見守り、守護してくださる神さまです。いわば、私たちの一生の守り神であり、 祈願・相談事などの《総受付役》です。
 また、産土の大神は祖霊を統括し、助け導く神さまです。昔の日本人は祖霊や産土の大神との深い結びつきを 通して、生きている時はもちろん、死んでからの安心も心得ていました。
○産土の大神・・・産まれた土地の守り神。結婚、出産、 家庭不和、精神的悩み、相続、身内のトラブルなどは、まず産土の大神にお願いするとよいのです。
○鎮守の大神・・・現住所の守り神。仕事や商売を助けてくださる神さまです。
○氏神さま・・・氏族にとっての祖先神。
○ 総鎮守・・・その地域の各神社のまとめ役ともいえる神社で、当社は総鎮守でもあります。  
【摂社・末社】    
焼鎌社・敏鎌社
やきがましゃ
とがましゃ  ご本殿の右横に鎮座しています。ご祭神は天の御柱大神(焼鎌社)と国の御柱大神(敏鎌社)です。 『古事記』『日本書紀』には風の神シナツヒコノ大神・シナツヒメノ大神として登場し、伊勢神宮の摂社 「風の宮」や奈良県の龍田大社にも祭られております。ちなみに伊勢の「風の宮」は鎌倉時代、蒙古の襲来を神風を起こして一撃したことで有名です。また、風の神だけに航空関係者の信仰も厚く、航空・航海安全、風雨調和、招福などのご神徳があります。
八幡社
はちまんしゃ  参道の左側に鎮座しております。ご祭神は比売大神、応神天皇、神功皇后です。比売大神は、アマテラス大神とスサノオノ尊が誓約をしたときに生まれた神々です。タギツヒメノ尊・イチキシマヒメノ尊・タギリヒメノ尊の三神で「宗像三女神」と呼ばれる海の神々です。
  応神天皇(誉田別専)は、神社に祭られた最初の人間とされ、欽明天皇29年(569)、神が現れて「われは誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と告げたことからお祭りされるようになりました。
  神功皇后は応神天皇の母親として、「神の子を産んだ聖母」(母子神信仰)の代表的な存在です。
 八幡社は全国に分社が二万五千社以上あり、大分県の「宇佐神宮」が総本宮です。
稲荷社
いなりしゃ  八幡社のとなりに鎮座しております。ご祭神は倉稲魂大神です。倉稲魂大神はスサノオノ尊の御子神であり、名前のとおり稲をはじめ穀物をつかさどる神(保食神)です。また、伊勢の外宮のご祭神である豊受大神と同じ系統の神さまです。
 稲荷は稲生が転じたもので、稲の育成するはつらつとした形をいったものです。また、「生成り、命の根、世の根」という意味もあります。五穀豊穣、生活全般に幸を与えてくださいます。
【文化財・宝物】    
  佐久奈度神社御旅所(大津市大石中3丁目4−3)
   本社より五百メートルほど南に行ったところに位置し、4月3日の神幸祭から約二週間後の還幸祭までのあいだ神輿が納められます。
 建物は鎌倉時代の本社の古材を用いて建てられており、向拝の蛙股にほどこされた彫刻は見事です。大津市の文化財に指定されております。
  大石蔵之介良勝奉納の絵馬
   『忠臣蔵』で有名な大石蔵之介良雄の出た大石家は近江国大石荘(現・滋賀県大津市大石)の出身です。良雄の曾祖父良勝のときに浅野長重に仕え、大阪の役で活躍して千五百石の家老となりました。この良勝が武運長久を祈願して当社に寛永6年(1629)奉納した絵馬です。「板絵著色武者騎馬像」といわれ、烏帽子に直垂をつけた自分の騎乗姿を描いたもので、こちらも大津市の文化財に指定されております。  
  伊勢神宮より納められた神剣と鼻高面
   伊勢神宮参拝の前に当社で禊ぎをするという古来からの慣例を通して、伊勢神宮より納められた真剣と鼻高面が当社に伝えられております。

公式HP



佐久奈度神社

当社は天智天皇御宇8年勅願により、中臣朝臣金連が当地に於て、祓を創し神殿を造営して祓戸神三神(現在四柱)を奉祀した。当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として著名で、大七瀬の祓所の一つである。文徳実例に「仁寿元年6月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。三代実録には「貞観元年正月27日奉授近江国佐久奈度神従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名神大社に列するなど当地方の名社であった。以来朝野の崇敬厚く後白河上皇は社領を加え寄進されたことが社記にみえ、豊臣家臣渡辺勘左衛門、膳所藩主本多康俊、石川忠総などからも社領が寄進されている。又「忠臣蔵」で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を祈って奉納した絵馬が残っている。大石家は当地の出であり、良勝は赤穂浅野家に初めて仕えた人である。例祭の他に当社の由緒上最も重要な「御手洗祭」が執行される。「神名帳考証」に毎年六月晦茅輪祓の祭をを行なふとあるが現在は7月31日に執り行われている。現境内地は昭和39年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴い旧境内地が水没地となり移転したものである。
明治9年村社、大正10年県社に加列。
明治41年神饌幣帛料供進指定。

滋賀県神社庁



平成31年 佐久奈度神社御鎮座1350年祭

当、佐久奈度神社は、天智天皇8年,(669)勅願によリ、瀬田川の急流のこの地において祓(はらえ)を行い、社殿を設けて祓戸大神四柱をお祀りしたのが始まりです。
爾来、天下の祓所として朝野の崇敬厚く、大七瀬の祓所のひとつとしても著名であります。また現境内地は昭和39年に下流の天ケ瀬ダム建設に伴い移転したものであります。この御鎮座より、来る平成31年に1350年の大きな節目の年を迎えます。また平成26年は御遷座50周年の年にあたります。
この正しき由緒と長き歴史に鑑み、二つの大きな節目の年を記念して、御鎮座1350年祭が斎行されます。今般この大祭を奉祝すべく奉賛会を設立し、本殿拝殿の改修、塗り替え工事をはじめとして境内緒施設の改修を記念事業として奉納し崇敬の誠を捧げるべく奉賛活動を行つております。 ご参詣の皆様方におかれましても、ご趣旨ご理解の上、ご協賛賜りますようお願い申し上げます。
佐久奈度神社御鎮座1350年祭奉賛会

社頭掲示板



佐久奈度神社

さくなどじんじや 滋賀県大津市大石東町。昭和39年までは瀬田川畔に望む景勝の地に鎮座していたが、天ケ瀬ダムの完成により水没地域となり、現在の地に遷座。旧県社。祭神は天瀬織津比当ス・天速秋津比当ス・天伊吹戸命を祀る。社伝によると天智天皇8年(667)に中臣朝臣金連がこの地において祓を修し、社殿を造り祓戸三神を祀ったことに始まる。『延喜式神名帳』の名神大社に列した。例祭4月16日。7月31日にはみたらし祭で茅の輪流しが行われる。

神社辞典



佐久奈度神社

佐久奈度は假字也○祭神瀬織津姫命〇大石荘東村に在す、今は櫻谷社と称す、(頭注に、一名佐久良谷明神と云り、)
○式三(臨時祭)名神祭二百八十五座、近江國佐久奈度神社一座、
大祓詞に、高山之末、短山之末興利、佐久那太理爾落瀧津、速川乃瀬爾坐瀬織津姫止云神、云々と云る、則ち是なり、謹て崇敬すべし、
神位 明神
文徳實録、仁寿元年6月卯寅、詔以近江國散久難度神列於明神、三代實録、貞観元年正月27日甲申、奉授近江國從五位下佐久奈度神從五位上、

神社覈録



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