風の神として伊吹戸主を祭る。 湖岸に近い志那神社の地は琵琶湖からの入口、港としてあったと思われる。伊吹戸主は風の神で湖上の帆船のほかに鍛冶の神としても祀られている。 現在の本殿は棟木の記載から、鎌倉時代の永仁6(1298)年に建てられたものである。昭和24(1949)年に国の重要文化財に指定された。 |
志那神社 重要文化財 志那神社本殿 昭和24年2月18日指定 志那神社の創立については明らかでないが、平安時代には社殿があったと考えられている。祭神は志那津彦命、伊咲戸主命を祀る。 現在の本殿は永仁6年(1298)に大工藤井宗近によって建てられたことが棟木に記されている。 形式は一間社流造。本殿内部は半円柱を壁際に建て、建具を備えて内陣と外陣に区切る。正面柱間寸法は1.53mの小規模な一間社。 母屋柱上に舟肘木をのせた社殿本来の簡素な構造であるが、柱の太さや屋根の反り上がりに調和のとれた鎌倉時代を代表する気品のある一間社本殿の好例である。 昭和63年3月 滋賀県教育委員会 社頭掲示板 |
志那神社 国指定重要文化財 志那神社本殿一棟 県指定文化財 木造普賢菩薩坐像 一躯 当社は風神を祭る由緒深い神社で、式内栗太八社の一社でないかとも言われる。 本殿は一間社流造、桧皮葺で小さくはあるが純然たる和様建築であり、氷仁6年(1298)の再建とされている。(棟札保存) 斗供間には美しい蟇股をつけ、内外陣とも小組天井で鎌倉時代特色をよく残している。 普賢菩薩像は寄本造、玉眼で唐草文花文などで彩色されているが、結跏趺坐、合掌の仏相は極めて理知的で、宋朝風の中にも洗練された彫刻と言えよう。 像底に「建武元年戊戌十二月』の朱書銘があり、これまた南北朝時代の作風を代表する貴重な文化財である。 昭和24年2月18比 国指定(本殿) 昭和41年7月4日県指定(普賢菩薩像) 草津市教育委員会 平成19年設置 社頭掲示板 |
志那神社 祭神 志那津彦命 志那津姫命 伊吹戸主命 由緒 創祀年代不詳なるも「延喜式内社意夫夜神社は当社なり」と伝えられ相当古い神社である。 風の神として湖上の安全五穀豊穣を守られる神徳を有し給い人々の崇敬は篤かった。 昔は4月初めの戌の日が祭礼で競馬が奉納され、志那二頭、吉田中村各一頭が出馬、その勝敗により豊凶を卜ったという。 例祭5月3日 社頭石碑 |
志那神社 平安時代の本殿礎石 昭和24年に本殿が国宝(現在は重文)に指定されたが、建物が老巧化しているため修理することとなり、本殿を解体したところ床下から加工石が4個出土したので県で鑑定された結果、平安朝時代の本殿の礎石であることが判明した。従って当社は794年から1191年の間に建立されたこととなる。 平成7年3月吉日 社頭掲示板 |
志那神社 草津市指定文化財 志那神社宝塔 志那神社の石製宝塔は、宝塔としては草津市における唯一完存する例であり、また、基礎に浮彫された一仏二茎蓮の文様構成は全国的にも例を見ない特徴を有しており、本市の石造文化を考えるうえで貴重な遺品といえる。 社頭掲示板 |
志那神社 創祀年代不詳であるが、社記に当社は徃古延喜式式内意布伎神社であったが何故神号が改称されたか不詳、しかし清和天皇御宇貞観9年御奉納の鏡、鈴二品今以て現存する、この古鏡銘に「奉近江国伊富伎神」、古鈴銘に「貞観9年4月」とあり。国史神祗八巻に「貞観9年4月2日辛未遣神祗大祐正三位上大中臣朝臣常道向近江国伊富伎神社奉弓箭鈴鏡云々」とある。又旧神官春日家にもこれを表す文書があり、その神名帳考証に志那ノ意布伎神是也と記されている。 但式内意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。 尚特殊神事として豊年万作を祈願し団扇二つでその風景を示す「さんやれ踊り」があり、また古老の言に徃古は参道に於て志那三郷(志那・吉田・志那中)より馬を出し豊作の吉凶を占う競馬があった由である。明治九年村社に加列。 滋賀県神社庁 |