この土地に住んでいたであろう廬井造(イオイのミヤツコ)の祖神を祀ったと考えられる。 本殿後方の山頂には神の降臨する聖地が残されていて、古社の面影を窺わせる。 境内前を流れる金勝川について、当社はその用水井を守護する神として祀られたとする説がある。 2013年9月の台風18号で大規模な土砂崩れが起こり、社殿は全滅した。(写真は以前のもの) |
五百井神社 祭神 木俣神 社伝によると元明天皇和銅7年甲斐国大井俣神を勧請し奉るとされるがむしろこの土地に住んでいたであろう廬井造(イオイのミヤツコ)の祖神を祀ったと考えられる。 延喜神名帳栗太郡八座の一つで仁寿元年(851)神階正六位上永治元年(1141)従五位下を授けられると云う。 中世以後は廬井を五百井に当てるようになった。 社頭掲示板 |
五百井神社 創祀年代不詳で、古代豪族蘆井造の祖を祀るともいうが明らかではない。大永四年の旧本殿棟札によると、下砥山村(現下戸山)の鎮守として篤く崇敬されていたことがわかる。武内社(栗太郡八座の内)、明治九年村社に列す。神社は安養寺山の麓にあり、山頂に古木に囲まれた山王社と龍王社の小祠がある。山王社こそは蘆井に坐す神が降臨する場所でなかったかと考えられる。 滋賀県神社庁 |
五百井神社 本殿再建の記 由緒 大永4年(1524)本殿棟札には地下衆の名前が記され下戸山の鎮守社であった。 延喜式神名帳にある栗太郡八社の一つで蘆井造鯨とその祖先を祀ると伝える。 祭神は木俣の神 土砂災害と本殿再建 平成25年(2013)9月15日台風18号の接近により、上砥山観測所では降り始めからの総雨量436mm、一時間当たりの最大雨量43mmを二回記録。そのような中、16日未明、安養寺山で豪雨による土砂災害が発生。轟音と共に流れ出した高さ100m幅30mの土石流が本殿を飲み込み、跡形もなく消失。社務所神輿蔵も土砂に埋まり全壊。9月28日氏子により復旧作業開始。10月3日瓦礫の中よりご神体を発見。御神像は滋賀県指定文化財となる。 本殿の再建経緯 平成26年度の十六日講で再建決議 復興再建委員会発足 平成29年8月19日 地鎮祭 平成30年7月14日 上棟祭 令和元年6月16日 竣工祭 社頭石碑 |
盧井神社 盧井は伊保乃井と古点あり、盧を印本蘆に作りて、さて仮字は伊保とあり、されば誤なり、O祭紳詳ならず〇青地荘下砥山村に在す、今は五百井明神と称す、 神社覈録 |