真野の神田神社から当社は勧請されたと伝承されている。 当社を上社とし、真野の社を下社とする一体の信仰として成り立つていた。 |
神田神社本殿 重要文化財 神田神社本殿 大正2年4月14日指定 神田神社は、彦国葺命がこの地を開創したときに社殿を建てたと伝えられ、祭神に彦国葺命を祀る。 現在の本殿は棟札に「御上棟当社神田明神御宝殿建徳元年」(1370)とあり、よく時代の特色を伝える。形式は前室付き三間社流造。正面庇に建具を備えて前室とし、さらに向拝をつける形式は滋賀県の中世本殿に遺構が多く、古式流造が一層優美に発達したものである。 母屋柱上に舟肘木を用いる簡素な意匠であるが、本格的に造られた均整のとれた本殿である。 社頭掲示板 |
神田神社 彦国葺命、素盞嗚命、鳥務大肆忍勝を祀る。本殿は檜皮葺の優美な姿を誇る三間社流造である。流造は、神社本殿形式の一つで屋根は反りをつけ前に長く伸びた庇を付加した形をいうのである。 当本殿は、整った側面の屋根が特に美しい。棟札によって南北朝時代の建徳元年(1370)の建立であることがわかる。 重要文化財指定 社頭掲示板 |
神田神社 明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると持統天皇4年に彦国葺命12世の裔孫和邇部臣鳥務大肆忍勝等に真野臣の姓を授けられた。同年9月居館の傍にある浄地普門山を宮居と定めて素盞鳴命を鎮祭して間野大明神と奉斎せられた。 文亀年中祭典の旧例に反し論争止まず、終に氏子の分離論に至った。この為遠祖彦国葺命、鳥務大肆忍勝の霊を奉じ、普門山に鎮祭した。 本殿は建徳元年に再建で、大正2年国宝建造物に指定され、現在重文指定である。 主なる神事として、毎年3月の己の日の己の刻に鋒向いと称して神主交代の行事があり。又「むろといり」と称する氏子の入りの行事があり、出生すると氏子帳に記載され、成人になってもこの記載順に宮役、十人衆等村に加入出来る。 明治9年村社に加列。 滋賀県神社庁 |