旧上坂本村の聚落の南端、比叡山の東麓に當る傾斜地に鎭座し、森本神社と通称されている。
日吉社の「社外末社百八社」の一つ。 |
倭神社御由緒 祭神 日本武尊 配祀 両道入姫皇女 稲依別王 由緒 日本武尊は景行天皇の皇子で小碓命と称す、成務天皇(西暦131年即位)の御代に当神社を創立、醍醐天皇の御代に編纂した延喜式「神名帳」記載の倭神社は当神社のことで式内社として朝廷から民間まで篤く崇敬された。古来「森本社」と称し日吉大社の境外百八社の一社に加えられている。 天台宗無動寺の鎮守社としても御神徳は輝き他府県の方々からの崇敬の念も篤い。 昭和4年10月無格社から村社に昇格し神饌幣帛料供進神社に指定された。 例祭 5月3日 境内社 通尾神社 祭神 菅原道真公 元無格社 登志弖本村に鎮座のところ明治41年許可を得て当境内に移転する。 社頭掲示板 |
倭神社 創祀年代は不詳であるが、当社は延喜式内滋賀郡八座の一(論社)であり、日吉大社境内百八社の一社である。 又天台宗無動寺の鎮守社として崇敬をうけた。 昭和14年村社に列格し、同年神饌幣帛料供進指定。 滋賀県神社庁 |
倭神社 倭は夜末刀と訓べし、秘釈倭文に作る、(志止利と訓ず)○祭神在所詳ならず 天正元年禰宜祝部行丸記云、日吉社外百八社記、於大和庄拝社地未詳、」祝部希烈卿云、志賀郡大和と云地名他に有事を聞ず、今上坂本大和庄の鎮守社、本社は往古より故実ある社なれば、此社の外大和社と申べき社なしと云り、考証にも倭神社は大國御魂神といひて、大和国大和社を引り、連胤按に、倭大國魂神を祭る所他にあらず、且秘釈に倭文とありて、倭文神は國々に祭る所多し、然れぱ倭文神社の文の字の脱たるに非ずやと思へど、其徴外に見ねば、何れとも定めがたし、 神社覈録 |