当社最初の鎮座地は久見港を距る約五町許り西南方に位する字仮屋の地 |
由緒 御祭神を伊勢命と申し、創立年代は不明なるも社伝によれば一夜神光海上より輝き来り字仮屋の地に止まり以来夜々出現止まず。偶々神託蒙る者あり、以って伊勢明神を奉斎せしより神火の出現はじめてやみたりと、この地は西北風強烈なるためまもなく田代川の対岸の浄地、現社地に移転せりと伝う。『続日本後記』に仁明天皇嘉祥元年名神の列に預りし趣、明記せられ延喜の制に於ては、名神大に列せられたる由、明かなり。明治5年郷社せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊勢命神社 【伊勢命神社】 伊勢命神社の本殿は、天保9年の久見集落を焼き尽くす大火により焼失した後、天保12年(1841)に再建されたものです。建築様式は「隠岐造」の三間社で、玉若酢命神社や水若酢神社の2社に次ぐ規模です。延長5年(927)成立の延喜式神名帳には、隠岐に4社ある名神大社の1社として記載されています。 毎年7月の例祭時には、「島後久見神楽」が公開されます。本祭の年(西暦奇数年)は26日、裏祭の年(西暦偶数年)は25日の午後9時頃から翌朝5時頃まで、「儀式三番八乙女神楽」が夜を徹して行われます。この神楽は、明治20年代に油井の神楽社家(神楽を専業とする家)の和田家から久見地区に伝承されたもので、現在行われている島後神楽では、一番古く伝承されたものです。 【隠岐造】 身舎は切妻造妻入で、それと連続しない片流れの向拝を持つなどの特徴があります、屋根が出雲大社の大社造、庇の部分が春日大社の春日造、そして全体的な柱の立て方が伊勢神宮の神明造という三つの神社の建築様式をあわせたものが隠岐造と言われ隠岐ならではの建築様式となっています。 社頭掲示板 |
伊勢命神社縁起 社伝に依れば一夜神光海上より輝き来たりて久見字仮屋の地に止まり以来夜々出現して止まず偶々神託を受くる者あり此の地に伊勢明神を奉斉せし処神火の出現止みたり、然るに仮屋の地は北西風強烈なる為間もなく現在地字宮川原に社地を定めて遷宮をなしたりと是が伊勢命神社創立の起源であり、御祭神は伊勢命である。 天保9年(1838)不幸当地に大火災発生し本社又その厄にあって全焼して棟札、古文書一切を失った為創立年代不詳であるが仁明天皇嘉祥元年(848)しばしば霊験ありとの故を以て明神の列に挙げられ延喜の制には國幣大社の待遇を受けて明神大の社格に列せられた。 当社は隠州視聴記に内宮大明神社領弐石神主山城隠州神名帖には正四位上伊勢明神とあり御造営は元島後中の寄進とするの定めとあり内宮さんと呼んで非常に崇敬を承けた明治5年郷社に列せられ同40年9月には神饌幣帛料供進社に指定せられた。 本殿は明神造り桁行三間梁間二間半昭和43年明治100年記念事業として屋根銅板葺替竣エ 尚古きから当社に奉納されている久見神楽は昭和37年島根県無形文化財に指定されている 右 昭和53年 伊勢命神社社務所 社頭掲示板 |