社地の右側に流れる谷水が良質であり、酒造に最適であるところから、社名も「和気能酒」と書くようになり、それによつてまた中古の一時期、山城から松尾明神を勧請するに至つたものだと伝えている。 国造の本拠は、実は初め隠岐国府の式内社和気能須命神社であったらしく、それが隠岐国の総社とされていたのを、いつしか玉若酢神社が総社と呼ばれるようになった。 |
松尾大明神 人家を離れて高き所ニ在。中ノ大社ニて拝殿参籠所あり。此村の産神、并ニ八田村も此社の産子也。造営村中懸リ棟札ハ元和6年建立とあり(中略)此社は式内周吉郡和氣能須ノ命神社なる由旧記にしるせり。国内神名帳にも和氣能酒大明神とあり。 島後旧社取調帳 |