賀茂那備神社
かもなびじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】賀茂那備神社 隠岐国 周吉郡鎮座

   【現社名】賀茂那備神社
   【住所】島根県隠岐郡隠岐の島町加茂342
       北緯36度11分18秒、東経133度16分41秒
   【祭神】別雷神 (配祀)素盞嗚命 玉安姫命
   【例祭】4月21日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平年中(729−49)玉安姫が創祀
       寛永14年(1637)再建
       寛文7年(1667)鴨大明神と称
       貞享5年(1688)加茂大明神と称
       元文6年(1741)5月造営
       宝暦7年(1755)加茂大明神と称
       明治5年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「加茂大明神」と称していた
   【社殿】本殿隠岐造銅板葺
       通殿・拝殿・宝庫・参籠所

   【境内社】恵比須神社・弁才天神社・大山祇神社

人皇46代孝謙天皇の御宇天平年中、玉安姫が隠岐国に来て創祀と伝。


的の前

昔、都を切り開き、鴨川のほとりに住んでおられた別雷神は、次の行き先を決めるのに、葵の葉を結んだ矢を射放った。
その矢を追って、川を越え、野を越え、ついに若狭の港から船で追い、島にたどり着いた。
入り江に近づくと、かたわらの断崖絶壁にまぎれもなく、葵の葉を結んだ矢が突き刺さっていた。
島の名は隠岐であった。そこでその湾に加茂の名をつけ、別雷神は、加茂の地域を開発し、人々の暮らしを導き、住みよい村落を作った。
後に加茂那備神社に祭られ、今も、その矢の立った岩を「的の前」と呼んでいる。
隠岐島後民話・伝説案内板No.18

社頭掲示板



隠岐国INDEXへ        TOPページへ



順悠社