もとは現今の社地の後方150間あまりの断崖の上に鎮座していた。 伝承では、宇受賀命が海を隔てた西ノ島のヒナマチヒメ神(比奈麻治比売命神社)に求婚をしたところ、大山(焼火山)の神と力比べをして勝った方に従うと言われ、二人で岩の投げ合いをし、宇受賀の神が勝ったとされてる。宇受賀の神と結ばれたヒナマチヒメ神がお産をしたのがここより東方の明屋海岸で、生まれたナギラヒメ(=奈伎良比売命神社)はその近く豊田集落に祀られている。 |
隠岐島前の文化財 有形文化財(建造物) 宇受賀命神社本殿 所有者 宇受賀命神社 由緒 特徴等 三間社隠岐造(春日造乃至日吉造の系統) 大工棟梁 中野房太郎 建造大正6年 構造の特徴は、妻入りの本殿に平入りの向拝を付したり本殿である。内々陣・内陣・外陣とに仕切られ外陣には戸は無く内陣は、正面に蔀戸・両側は開き戸・内々陣は、三前に御扉が付けられている。 当社が延喜式の明神大社という古社であることから旧来の様式に従って再建されたもので、島前に於けるこの建築様式としては、最大で代表的な物である。 現在は銅板葺となつているが建造時から昭和37年までは茅葺であつた。 昭和37年隠岐島前教育委員会指定 社頭掲示板 |
宇受加命神社 海士町の文化財 有形文化財書籍第一号 「大般若経」 所有者 宇受賀命神社 大般若経の転読は奈良朝期に始まっている。地方の有力社寺に於て行われる様になるのは、中世期に入ってからと思われる。宇受賀社に於て大般若転読が行われた事は「隠州風土記(江戸時代1833年)に五穀豊穣のご祈祷として海士の真言一派相集、大般若転読仕候」との記載があり旧時に於ては、恒例の祭事として執行されていたことがわかる。 平成9年7月10日 海士町教育委員会 社頭掲示板 |