一条天皇の時代、海中に生じた光が数夜にわたって輝き、その後、焼火山に飛び入ったのを村人が跡を尋ねて登ると菩薩の形状をした岩があったので、そこに社殿を造営して崇めるようになったと伝えている。 焼火山は北麓に鎮座する大山神社の神体山として容易に登攀を許さない信仰の対象であったと思われるが、後世修験者によって修験道の霊場とされると、地蔵菩薩を本尊とする焼火山雲上寺(真言宗であるが本山を持たない独立の寺院であった)が創建された。 |
由緒 隠岐・島前内海中央にそそり立つ焼火山は古代より神の鎮まります御山として島人より信仰されております。御祭神は大日 貴尊(オオヒルメノムチノミコト)と申し、平安期に至り海中より神火が示現し、それが山に飛入った奇瑞を見た島人がそれを追って山中に分け入って現在の巨岩を発見、ここを神の鎮まります処として社殿を営んだと縁起書に記されております。殊に後鳥羽上皇隠岐遷幸の折りにも神火の示現によってつつがなく着岸されたという伝承もあります様に船人の信仰する大神として、江戸時代には安藤広重・葛飾北斎の浮世絵にも描かれておりました。近世に至るまで隠岐島のみならず日本海及び東北の太平洋岸にわたり船神として神威はあらたかでありました。今も船人には特に海上安全の神として山陰一帯のみならず、中国山地にもその信仰はあまねくゆきわたっております。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |