もとは隣接の井林地区の鞍掛山にあつたとするが、いつ頃より現在地に移つたかは不詳。 古麻志比古神の神名についてでは、所在地の経念地区をはじめとする近郷十ケ村をかつては「胡麻志」と称していたことから、地名に比古をつけ人格神化したと考える説もる。また、古麻志=高麗・魂とみて高麗人の祖霊ないし高句麗系渡来人の祖神とみる説もある。 |
古麻志比古神社 崇神天皇御宇ノ創立ト傳ヘラレ延喜式内ノ神社ナリ。欽明天皇貴樂二年、元正天皇養老元年、後冷泉院康平四年、後二條院傳治元年後再興アリ。(中略)當社ハ近郷ノ中、大坊・内坊。延武・向・國兼・中田・火宮・古藏・経念ノ総社ニシテ社領五十石六斗余アリ。天正年間兵災二カカリ旧記神宝焼亡。 神社明細帳 |
古麻志比古神社 本社は延喜式内の古社で、古麻志山一宮気多大明神といわれ、祭神は崇神天皇の御弟であり、今の本殿は貞享2年に営造された。古は大坊、延武、向、国兼、火宮、中田、古蔵、中、内山の惣社なり。御神事太鼓あり、春の玉居祭に氏子中神輿渡行の際、氏子青年により執り行われる。 石川県神社庁 |