明治37年9月25日夜の火災(村全体が火災となつた)までは、現在の本殿の後方の、八幡森と称される小高い裏山上に本殿があつたる。 |
櫟原北代比古神社 この宮は、鷲嶽八幡宮と言われた時期もあり、その後、明和五年(1768)に社号を現在の櫟原北代比古神社にもどした。 鷲嶽という名前は、往古この所に鳳至比古の神が悪鳥大鷲を退治した時、その羽に八幡の文字があったので、これを勧請した社ともいい、又、この悪鳥の骸を埋めたことから鷲嶽の宮ともいわれ、鷲嶽地区の後方の背嶽が崩壊して、前面の海を埋めて現在の社叢が出来たとも言われている。 石川県指定天然記念物 平成3年10月4日指定 榛原北代比古神社社叢 この社叢は、数百年来北国の厳しい風雪のため枝振りよく育ったクロマツを優占種とした群落を抱擁して、紺碧の日本海に突出している断崖の部分とその反対のやや緩やかな面とから出来ている。緩慢な面はダブとシイが主体となっている。特に、社殿前のタブの生きる根が地上に出ているは注意すべき現象である。 古来、氏子たちは、この八幡森を神の憩いの場所として婦女子の入ることさえ禁じていた。 社頭掲示板 |
櫟原北代比古神社 創立の年代は詳らかではないが、社記によれば承元元年、長谷部信連公造替し、八幡宮、山王宮を新造し、社領36石、御朱印高並びに年米21石ずつ供進した。櫟原北代比古神社六社大明神と尊崇され、近隣十七ヶ村の惣社で、明治39年村社に列格、明治40年4月境内社一社、境外社七社を合併した。なお、社叢は輪島市天然記念物に指定。 石川県神社庁 |