広田神社
ひろたじんじや 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鳳至比古神社 能登国 鳳至郡鎮座

   【現社名】広田神社
   【住所】石川県輪島市小伊勢町丸垣内64
       北緯37度22分53秒、東経136度53分6秒
   【祭神】天照大神 表筒男神 中筒男神 底筒男神 高皇産靈尊
       神功皇后 大山咋神 建御名方神

   【例祭】4月10日 春季例祭 10月9日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】安元治承(1175−81)の頃伊勢国より東・西等の七氏妻子と共に来着し創祀
       天文年間(1532−55)鳳至川の水害で社地社殿が流失
       その後現在地に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は一町余北方、日隅と称する地
        天文年間(1532−55)鳳至川の水害で社地社殿が流失
        その後現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「「広田大明神」「平田明神」」と称していた
   【社殿】本殿切妻造
       幣殿・拝殿・神饌所・奏樂所・神庫・神輿庫・御遷幸殿

   【境内社】水口神社

明治32年に県道改修に際し、日隅の元宮跡を道工事土取場として七八尺掘上げたところ、木像の古神像が出土し、直に広田殿に奉移した。尚数日を経て又神像二体現われたと伝わっている。


広田神社

この神社は、延喜式内社鳳至比古神社ともいわれ、近郷の惣社であったとも伝えられている。
神社には神像四躯と文明九年(1477〕作の銅板懸仏一面は輪島市の文化財に指定されている。
神社の神事として昔は「七草祭」があり、2月7日に七草祭りを行っており、神前に七草をお供えして、33鍋を炊いて、氏子一同直会をする。この直会には参拝者全員に七合入りの盛相飯一本宛配分し、七草のお菜も入れて食べさせたという。現在は3月7日に変更し、祭典だけを行っている。
輪島市指定有形文化財 彫刻 昭和49年7月23日指定
広田神社の神像 四駆
一、木造男神坐像
二、木造女神坐像
三、木造男神坐像
四、木造僧形神坐像
輪島市指定有形文化財 工芸 昭和50年12月25日指定
銅板切抜倶利迦羅懸仏 一面
銅板面径 35.0p
厚(台板共)1.5p
高16.0cm
倶利迦羅懸仏遺品は少なく、本県では鹿島町の円光寺に遺存する鎌倉時代の一例にすぎない。しかも本懸仏には紀年銘もありきわめて重要である。
台面裏面 「山王権現、御宝前、文明九年口口七月□□

社頭掲示板



広田神社

創立年代不詳。延喜式内鳳至比古神社とも伝えられる。往昔は、日隅の地に御鎮座。のち天文年間社地社殿を流出のため現在地に遷祀したという。また一説に往古、伊勢国より東・西両氏が来て当地を拓き、外宮・内宮を勧請して、字名も御伊勢と称したが、本国に恐れて、小伊勢と改称。従って、伊勢参宮不能の者は競って近郷から参拝したという。社号は鳳至比古神社と広田神社を併称してきたが、後、現社号に改称。御神像・懸仏等、市重要文化財に指定されている。

社頭掲示板



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