餘喜比古神社(旧地)
よきひこじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】餘喜比古神社 能登国 能登郡鎮座
          (合祀先)御門主比古神社

   【現社名】餘喜比古神社
   【住所】石川県羽咋市大町ヌ-23
       北緯36度56分6秒、東経136度51分29秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       明治8年10月23日延喜式内余喜比古神社と称する
       明治18年4月社殿を建立
       その後御門主比古神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地に鎮座していた
        その後御門主比古神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大將軍社」と称していた
   【社殿】なし
       

   【境内社】

御門主比古神社に合祀されている。祭神は現在は素盞鳴尊とされているが、『神社明細帳』には「古ヨリ寛文年間ノ頃マテハ祭神余喜比古神(國津神)・崇神天皇ノ皇子豊城入彦命ノ武神ヲモ奉祀セリ」と記す。


餘喜比古神社

當社上古ヨリ延喜式内余喜比古神社ト號シ、大町村ニ鎭座シ賜ラレ、而シテ近傍無比尊敬之神社ナリ、東西南北十ケ村余ノ郷社故二堂塔・寄附田許多アリ、牡観著名ノ大社ナリ、當村ハ往古余喜ノ郷或ハ王待ノ郷・王待ノ庄保ト唱フ、中世マテハ高名ナル駅場ナリ、故二現今二至リテ里俗大町ノ郷或ハ余喜ノ郷・余喜ノ里地・上日・朝日ノ庄ト呼ヘリ、
當神社ノ社領・寄附田、天正年中頃マテニ織田信長公ノ所有トナリ剥奪セラレ、故二追々衰頽二赴キ、数多ノ堂塔中絶ス、社號ヲ唱セス、然レトモ本社趾地、其他余喜比古神社ノ神水池二ケ所今猶存在ス、中古、其本社趾地ヲ以テ大將軍社ヲ奉紀ス、古書類、承応二年七月営村大畑惣左衛門出火之節焼失ス

神社明細帳



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