気多神社の鵜祭の鵜が当社に一泊し、また気多神社の平国祭の折に豆団子を21串供える。 かっては別当寺として、金剛寺・山田寺など十六坊を有した大社であった。 戦国時代以前は、現在地よりも奥の山の上にあったという。 |
白比古神社 当神社は吉川邑の産土神にして延喜式内の古社なりと伝う。 祭神は白比古大神を祀る。地方開拓の祖神にして大己貴命の御神子なり。 文徳帝の御代勅によりて神事を修す。 代々国主守護の崇敬厚く神楽田、神田などの寄進多し、両部集合の世本社の別当に山田寺、金興寺など16坊ありしとあり。 明治6年村社に列し、同39年神饌幣帛供進神社に指定さる。 社頭石碑 |
白比古神社 當社御鎭座年月不詳ト雖モ延喜式内ノ旧社タリ(貞享・寛延書上帳)祭神白比古大神ハ大己貴命ノ御子神ニシテ地方開拓ノ祖神ナリト、能登國氣多神社鵜祭ノ鵜、當社ニ一泊シ平國祭ノ折、豆團子二十一串ヲ献備スルハ此レニ因ルト文徳帝康和五年六月勅ニヨリ神事ヲ修ス(朝野群載)後円融帝ノ御世二至り神位從三位二上リ給フ、爾來國守守護ノ崇敬篤ク神樂田、油田等ノ寄逡アリ、両部習合ノ世トナルヤ別當金剛寺、山田寺等十六坊アリシガ天正ノ兵災二社殿等鳥有二帰ス(畠山軍記)前田利常公神田紋所ノ寄進アリ、長氏當地ヲ領スルニ及ヒ地頭代ヲ置キ地方豪士ノ尊崇篤カリキ(社伝口碑)明治維新ノ際、前田家ヨリ、蓬來一一基、鎧二個ヲ寄進セラル(社蔵記録)明治6年4月村社二列セデレ同時一ニノ宮氣多神社ノ摂社干指定セラル、明治12年5月類焼ノタメ什宝等灰燈二露入、明治39年12月29日神饌幣帛料供進神社二指定セラル 神社明細帳 |
白比古神社 延喜式内の古社と伝え、祭神は大己貴命の御子神にして地方開拓の祖神と伝える。康和5年勅によって神事を修す。中世以来、守護や豪族の信仰篤く、神楽田、油田などの寄進あり。別当寺として16坊あったという。維新の際にも、藩主前田家より蓬莱台や甲冑などの寄進があった。明治6年に村社に列格。 石川県神社庁 |