「社名の荒石が荒磯の義より生じたものと解するならば、地形的に荒涼たる石浜・磯浜を連想させる位置にある」(式内社調査報告)。 荒石比古神社の御神霊は元筆染村に安置されていた(当社)が、其後元亀3年(1572)本殿を改築する際、今の豊田町地内の日吉神社に遷座した。 |
荒石神社 荒石比古神社御神霊は元筆染村に安置したりしものなりしが、其後元亀三年本殿を改築する際、今の豊田町地内に遷座したるものなりしと、當社は六保大宮と称して豊田、豊田町、土川、河崎.奥吉田、筆染の六ヶ村の総社にして維新以前までは各村より神饌田、御菜畑と称して社殿附近の田畑数十町歩を有したりしが、維新の改革により民有地に編入し或は共有地となり、転じて個人所有地となりたり、今社地附近に土川領、萩の屋領、筆染領、奥吉田領など称する飛地あるは其の遺跡なるべし 『石川縣鹿島郡誌』「荒石比古神社旧跡」 |
荒石神社 由緒は不詳であるが、古来、荒石宮として崇敬される。明治初年、荒石社と改称。戦後、荒石神社となる。 石川県神社庁 |