日吉神社
ひよしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】荒石比古神社 能登国 能登郡鎮座

   【現社名】日吉神社
   【住所】石川県七尾市中島町豊田町ヲ42
       北緯37度6分8秒、東経136度49分59秒
   【祭神】荒石比古神 大己貴命 少彦名命 石凝姥命
   【例祭】5月1日 春季例 9月16日 秋季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】神亀3年(722)勧請
       その後山王社を合祀せられたる
       明治6年6月日吉神社と改称
       大正4年11月6日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】中島町筆染ロの荒石神社が旧跡という
        元亀3年(1572)この地に仮遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「山王社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】

荒石比古神社の御神霊は元筆染村に安置されていたが、其後元亀3年(1572)本殿を改築する際、今の豊田町地内の当社に遷座した。その後戻らないままか?


日吉神社

日吉神社に関する
中島町指定文化財
六保のおすずみ祭り(無形民俗文化財)
指定日 平成7年6月28日
稲穂が出そろう頃、土川・豊田・豊田町-河崎・奥吉田・筆染の六保と崎山区の七末社から鉦・太鼓・奉燈からなる行列が日吉神社に集い、おすずみ祭りがおこなわれる。
参入した奉燈が林立し、賑わいが最高潮となる中、社殿では神事が行われ五穀豊穣を祈願する。近年まで燈火はろうそくで、夏の夜風にゆらぐ風情はまことに幻想的であつた。
最盛期には十五基を超える奉燈が参加した。
祭礼日7月最終土曜日
(旧7月17日)
六保祭の枠旗行事(無形民俗文化財)
指定日 平成7年6月28日
六保祭は、七末社が本社に集う寄り含い祭りである。各末社から、猿田彦を先導として鉦・太鼓・お道貝・神輿・深紅の大旗からなる行列を綴り出す。十薮メートルの深紅の大旗が乱舞する光景は圧巻であり、枠旗祭り行事として広く知られている。この祭礼は江戸時代から行われており、秋の風物詩として、また故郷の心として大切に受け継がれてきた。
祭礼日 9月15日
(旧9月16日)
元和3年繋馬図絵馬(絵画)時代江戸時代前期
指定日 昭和41年5月23日
2枚の杉板地額面に彩色の神馬を描いた、二枚一組の絵馬。いずれも縦42.5cm、横57cmで、彩色は剥落しているが、右向きの馬は白馬、左同きの馬は黒馬を描いてある。五穀豊穣を願つて奉納されたものだろう。
元和3年(1617)の銘から、県内でも古い方に属する。
中島町教育委員会

社頭掲示板



日吉神社

旧記古文書等焼失して詳細ならずと錐も當社は荒石比古神當郷開拓の祖神として鎭座し給ひ、もと延喜式内荒石比古神社と尊称せられ近郷六保の総社として地方民の崇敬篤く里人は一に六保の大宮と称せり、旧時地頭職等の尊崇厚く神田神戸等を寄せられ社人多く祭儀愈々盛なりき、其後當社へ山王社を合祀せられたるに山王社神威の重んぜらるるに依り祭事も從ふて山王祭の例に習ひ、かくて神輿は摂社唐崎神社へ渡御あり奉幣の儀行はれたるならん、斯くて荒石比古神社と称せしを明治初年石川縣より令して日吉神社と改称せしめらる。

神社明細帳



日吉神社

当郷開拓の祖神、荒石比古神を祀り、延喜式内荒石比古神社論社の一つ。地方民の尊崇篤く、六保の大宮として親しまれた。明治6年県令により日吉神社と改称させられた。元和3年の絵馬は中島町文化財に指定されている。

石川県神社庁



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