「鳥屋」は万葉語「とや」に対する当て字であり、平野を意味する枕詞、祭神鳥屋比古は、野原を支配する男という意味と考えられる。 祭神鳥屋比古神が鹿島路の湖水に住む毒蛇を射殺して当地一帯を平定したと伝える。 明治初年の神仏分離により、安置していた仏像6体は、羽坂の弘願寺に預けられた。 本殿は往古現在地より北一町余の山上にあったという、拝殿は現在地にあったという。 |
鳥屋比古神社 主祭神 鳥屋比古神 創立の年代を詳かにしないが、社伝によれば崇神天皇の御宇鎮祭せられたものという。 祭神鳥屋比古神は国土平定開発の祖神と仰がれる大神で、往古竹津浦鹿島路の湖水に荒ぶる毒蛇が棲息して人民に害毒を及ぼした時これを平定し、その射給うた矢の落ちたところを羽坂と称するに至ったという。而して、社殿後方の鳥屋塚こそは、この蛇身等を埋めたものだと伝えている。 醍醐天皇延喜の制、小社に列して祈年の国幣に預かった名社である。 古来、十三ヶ村の惣社として地方広範囲にわたる崇敬を集め、中世に畠山氏の尊崇篤く、社領二百六十石の寄進を受けた。 また、本社は古えより六所大明神と称せられ、六神奉祀するに至った。 社頭石碑 |
鳥屋比古神社 延喜式内社にあてられる古社。竹津浦鹿島路の湖水に毒蛇が住み、人民をこらしめたので、尊神はその毒蛇を射殺し給う。その矢、落ちたる所を羽板と言い、これは一青の庄で(羽板、春木、末坂、今羽板、一青、黒氏、久乃木、坪川、新庄、二十九日、川田、大槻、瀬戸、花見月、伊久留、吉田の18村)惣社として崇敬篤く、特に畠山領主の祈願所として尊敬され、明治41年神饌幣帛料供進神社に指定される。 石川県神社庁 |