藤津比古神と熊野速玉神をまつっている。毎年、春・夏・秋と祭りが開かれており、特に秋9月15日に行われる「新宮の大祭」は、20mもある真紅の枠旗を担ぐ勇壮な祭り。本殿の造営は1314年で、昭和42年に重要無形文化財に指定されている。 |
藤津比古神社本殿附棟札 重要文化財 昭和42年6月15日指定 藤津比古神社本殿附棟札2枚(1棟) 室町時代末期 藤津比古神社 鹿島郡中島町字藤瀬 藤津比古神社は、延喜式内社に列し、釶打郷(現中島町釶打地区)の郷社として信仰されてきた。本殿は、3間社流見世棚造り、とち葺で南面し、覆屋の中に納まっている。 礎石と両落ちの葛石は野面石で、その上に土台を置き、柱を建てている。身舎柱は円柱、庇柱は角柱とし、身舎の正面中央に幣軸を付けて板唐戸を建て込み、両脇の柱間は蔀戸を吊り、両側及び背面は横嵌板壁としている。 庇の正面は3間とも解放し、正面中央に5級の木階を付けている。身舎のかえる股や戸口回りの幣軸などに鎌倉時代の古式を残しているが、建立年代は実肘木などから室町時代中期と見られる。この本殿がはなはだ古式を保っているのは、天正4年(1576)の改築、元禄15年(1702)の解体修理などのおりに、つとめて前身建物の古材を使用し、建築様式の古様を忠実にうけついで来たためであろう。ただし、庇の部分は、すべて元禄15年(1702)に改造されている。 社頭掲示板 |
藤津比古神社 藤津比古神社に関する文化財一覧 藤津比古神社本殿(国指定重要文化財) 藤津比古神社は藤津比古神と熊野速玉神を祀る延喜式内社で、古くから地区民の尊崇を集めた鉋打郷の惣社である。身舎の蟇股や戸口回りなど、内部には鎌倉時代の古式を残す三間社流造である。 記録では、天正4年(1576)、元禄15年(1702)に修理が行われている。 正和3年熊野権現建立棟札一枚(書籍) 総高75cmの檜板製で、尖頭形。正和3年(1314)は鎌倉時代後期である。 蒔絵鞍一個(工芸品) 木製革張りに黒漆塗りし、金銀で蒔絵を施したもので、「海無鞍」という様式の鞍である。居木の裂面に「萬治弐歳五十嵐道甫」と墨書銘が残る。五十嵐道甫は、加賀蒔絵の基礎を築いた名工の一人である。萬治弐歳(1659)は江戸時代前期である。 弘治3年木製方形桝一個(歴史資料) 方形で一辺が約18cm、深さ約7cmの桝で、外側二面に、「弘治3年9月9日」の陰刻銘がある。弘治3年(1557)は戦国時代にあたる。 鉋打のおすずみ祭り(無形民俗文化財) 例年8月14日の夜行われる納涼祭である。各末社から参集する奉灯には昔ながらのロウソクを用いて、「ヤンサコ」という祭歌を歌い、古来の情緒を今に伝えている。 新宮祭の枠旗行事(無形民俗文化財) 例年9月15日に行われ、各末社が猿田彦に導かれて神與、鉦太厳、枠旗とともに本社に集まる寄り合い祭りと呼ばれる形式である。 宮司が馬に乗り御旅所(水落とし)まで枠旗の行列と共に渡御する。 社頭掲示板 |
藤津比古神社 當社ハ景行天皇御宇ノ創建ニシテ正和4年8月23日社殿再建ス、爾來旧國主ノ御祈願所トナル、城主國分備前守慶胤奉行、新保佐介兼家社参有之候由、則チ棟札本殿ニ納メ、今ニ古城跡西谷内村ニ御座候、此社ハ往古ヨリ鉋打郷ト称シテ営繕修覆方等之儀ハ、郷中ニテ仕來リ候、明治5年9月七尾縣庁ヨリ第七区郷社二被列候。 神社明細帳 |
藤津比古神社 「新宮(しんご)」とも称される。景行帝の御宇の創建と伝えられる式内社。明治5年郷社に列格。近郷地区民の尊崇篤く、7月15日の納涼(おすずみ)祭には、20本余の奉燈(おあかし)、9月15日の大祭には10台余の神輿、大幟旗が供奉し、翌16日には神事相撲が行われる。御本殿には昭和42年、国の重要文化財(建造物)の指定を受けた。 石川県神社庁 |