諸岡比古神社
もろおかひこじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】諸岡比古神社 能登国 羽咋郡鎮座
   【延喜式神名帳】石瀬比古神社 能登国 鳳至郡鎮座
          (旧地)諸岡比古神社【旧地】總持寺祖院

   【現社名】諸岡比古神社
   【住所】石川県輪島市門前町道下22-1
       北緯37度17分19秒、東経136度44分53秒
   【祭神】天日鷲命 岩城別王 三筒男命 天照大神 国狹槌命 豊受大神
   【例祭】4月17-18日 春季例祭 7月30-31日 夏季大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】崇神天皇の御代の御鎮座
       養老2年(718)能登国設置の頃羽咋郡境櫛比庄諸岡村に鎮座
       諸嶽山総持寺創建の際、同庄道下村鐡河の地に移
       延喜6年(885))醍醐天皇神鏡奉納
       文治年中(1185−90)従四位下
       天和3年(1681)造営
       寛政の頃(1789−1801)式内石瀬比古神社と称
       明治15年3月諸岡比古神社と改称
       同41年4月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】養老2年(718)能登国設置の頃羽咋郡境櫛比庄諸岡村に鎮座
       諸嶽山総持寺創建の際、同庄道下村鐡河の地に移

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「金川宮」と称していた
   【社殿】本殿流造。
       拝殿・幣殿・倉庫

   【境内社】

延喜6年(885)醍醐天皇当社に御祈願のために神鏡を御奉納という。集落の東。山の西麓に鎮座しており、川を渡って参拝する。
木製の狛犬は、鎌倉時代のものとされ、昭和39年門前町の文化財に指定されている。


諸岡比古神社

延喜式内大社
元八ヶ郷百八ヶ村総社
諸岡比古神社由緒
祭神 岩城別王。天日鷲命 三筒男命 豊受大神 大国主命 国狭槌命
祭日
1月1日 歳旦祭 1月19日鎮火祭
3月10日 祈年祭 旧住吉神社旧地主神社春祭
4月17・18日 春祭 旧八ヶ郷大社祭
7月30・31日 夏祭 旧住吉神社大祭
12月3日 あんねも祭 五穀成就感謝祭
12月31日 大祓祭
社伝によれば当社創立は古代崇神天皇の御代の御鎮座とされ延喜式内の大社なり。(延喜式神名帳制定881年)貞享2年(1686)由来記によれば櫛比人箇之大社銕河宮即ち八ヶ郷百八ヶ村内の百十二社の総社たり人箇郷は八庄より其名生まれ、即ち櫛比庄二箇庄本郷庄浦上庄阿岸庄仁岸庄七浦庄大沢庄有りて各庄には郷社を奉斎し当銕河宮は八庄の惣社たり、永禄3年(1549)銕河宮記によれば当宮は一千有余年の霊地にして旧3月3日より10日迄八ヶ郷業を休み郷社大社に参加したり、延喜6年(885)醍醐天皇当社に御祈願のために神鏡を御奉納されたり。四条天皇の御代走出村に分霊を祀りしが神託により元享元年正月本宮に還幸せしめ奉る。当時此地は羽咋郡に属したるため羽咋郡14座の一に列せられたり。八ヶ郷大祭には特殊神事が奉納され、曳山流鏑馬舞童、奉灯松明篝火太鼓大旗獅子舞などと共に各村より神輿が当郷社に渡御され、一大郷社大祭が奉仕され上村より出で、小石村の木兵衛は薪を出し、勝田の鉾太朗兵衛は鉾を持ち阿岸の右衛門、仁岸の左衛門とて御神事の警護役を勤め郷社大祭が行われ、境内には銕河神事相撲が奉納され一千有余年の久しき連々として恒例の祭儀は大社たる事の由縁なり。古代元弘建武の頃国内乱れ戦国の世となり上杉謙信の能登侵攻を免れず、当大社も其難を受け、かっては七堂伽藍を有せし大社として一千有余年信仰の聖地として盛況を極めたりしものなり中古石瀬比古神社と称せられしも明治14年銕河神社と合祀され明治15年諸岡比古神社と改称す。
明治40年8月道下氏神住吉神社、善光寺森氏神地主神社切配氏神神明神社を合祀す。明治41年4月神饌幣帛供進の郷社に指定さる。現在の御本殿は天和3年(1681)百八ヶ村氏子中より御寄進を仰ぎ献立されたる重要なる文化財である。

社頭掲示板



諸岡比古神社

創祀年代は不詳であるが、古来、鉄川宮と称えられ、近郷108ヵ村の総鎮守として、多数の神人衆徒を擁し国主庶民の広い尊崇を集めた大社で、鉄川寺衆徒訴状社伝がある。明治41年住吉神社、豊受神社、国狭槌神社を合祀し、同年4月神饌幣帛料共進神社に指定。鎌倉時代木刻の狛犬が一対あり、門前町指定文化財になっている。

石川県神社庁



おんねも祭り

「おんねも」赤飯受け取る 門前・諸岡比古神社
 その年の収穫を氏神に感謝する「おんねも祭り」が3日、輪島市門前町道下(とうげ)の諸岡比古神社で営まれ、児童や園児約20人が「おんねも(おれにも)」と連呼しながら神職がしゃもじで配る赤飯に両手を伸ばして頬張り、無病息災を願った。
 子どもたちは氏子らと神事に臨んだ後、安本和秋宮司(60)がおひつからしゃもじですくった赤飯を「おんねも」と大きな声を上げて受け取って口にした。門前西小4年の廣澤聖菜さん(9)は「10回以上お代わりした」と笑顔を見せた。
 おんねも祭りは約600年の歴史があるとされる。わが子の手が握り拳のまま開かないことに悩んでいた道下村の長者が、夢のお告げに従い村の子どもたちに赤飯を分け与えたところ、「おんねも、おんねも」と手を差し出す子らにつられて長者の子の手が開いたという伝承に由来する。

2016/12/04北國新聞



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