宝暦10年(1760)9月当郡小室村産神が富来町の神明宮(現・諸岡比古神社)と社号論争に及び、奉行所詮議の上、両村とも式内諸岡比古神社と称することになった。 明治6年5月若宮社と改称されたが、若宮社は本来境内末社であったが天正年中本社相殿に祀られたが本来は諸岡比古神社であるという。 |
若宮神社 往古より式内諸岡比古神社と称し、宝暦10年同村産土神、神明社と社号争論があり、天明3年両社とも式内諸岡比古神社と称し、明治6年若宮社と改称す。若宮社は阿波国浪士阿波覚平が当村転住の折り奉祀し、応永6年畠山満則社殿造営し、明治4年村社に列せられる。 石川県神社庁 |