瀬戸比古神社
せとひこじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】瀬戸比古神社 能登国 羽咋郡鎮座

   【現社名】瀬戸比古神社
   【住所】石川県羽咋郡志賀町直海ス68
       北緯37度4分9秒、東経136度47分11秒
   【祭神】素都乃奈美留命
   【例祭】4月18日 春季例大祭 9月18日 秋季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】崇神天皇御宇創祀
       元暦元年(1184)3月源頼朝造営
       応永6年(1400)3月神殿造営
       天文4年(1535)4月造営
       寛永6年(1629)3月神殿造
       宝暦12年(1762)式内瀬戸比古神社と称す
       明治6年5月直海白山神社と改称
       同35年9月23日瀬戸比古神社と称す
       明治39年12月20日神饌幣帛料供進

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「観音堂」「白山権現」と称していた
   【社殿】本殿流造柿葺
       幣殿・拝殿・手水舎・神輿庫・神門・社務所

   【境内社】

往昔は観音堂、白山権現とも稱され直海二十箇村の総鎮守であった。


由緒

瀬戸比古神社社誌碑
当社は崇神天皇の御代の創建とされ延喜式内社と伝へる。
往昔は観音堂、白山權現とも稱され直海二十箇村の総鎮守であった。
歴代武将の崇敬も篤く天文4年に当地の領主国沢六郎兵衛徳長が社殿の造立を行った。
寛永6年には藩老村井飛彈守長家が社殿の修理と社地境内に保護を加えている。
盛時は社家・社僧・坐女百五十余名に及んだと云うがその多くは退転した。
社職は祭神の後裔素都氏が累代奉仕して今日に至っている。
明治6年直海白山神社と改稱したが明治35年瀬戸比古神社の旧社号に復した。
御神徳は古今に輝き今に近在の氏子崇敬者から深い信仰が寄せられている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



瀬戸比古神社

瀬戸比古神社社誌碑
祭神 素都乃奈美留の命
由緒
当社は崇神天皇の御代の創建とされ、延喜式内社と伝える。往昔は観音堂、白山権現とも称され、直海保二十箇村の惣鎮守であった。
歴代武将の崇敬も厚く、天文四年(1535)に当地の領主国沢六郎兵衛徳長が社殿の造営を行った。寛永六年(1629)には藩老村井飛騨守長家が社殿の修理と社地境内に保護を加えている。
盛時は社家、社僧、坐女百五十余名に及んだと云うがその多くは退転した。
社職は祭神の後裔素都氏が累代奉仕して今日に至っている。
明治六年(1873)直海白山社と改称したが明治三十五年(1902)瀬戸比古神社の旧号に復した。御神徳は古今に輝き、今に近在の氏子崇敬者から深い信仰が寄せられている。
例祭
4月18日 春季例大祭  3月18日鎮火祭
9月18日 秋季例大祭  6月5日 五穀豊穣祈願祭
1月1日 元旦祭    7月13日 納涼祭
12月3日 新穀感謝祭
昭和61年1月
第43代宮司 神裔 素都益昭

社頭石碑



瀬戸比古神社

崇神天皇御宇、素都乃奈美留命高志國造ト被定、當社ニ鎭座ノ由傳承(中略)元暦元年三月源頼朝執権北條四良時政神殿造営、神領百町寄附、(中略)自往古、直海保・熊野郷・堀松庄・徳田庄等相唱四ケ郷ノ各村廿ケ村産土神社當社へ附属ニテ、四ケ郷各村租神総社ト今ニ相唱、崇敬仕來(中略)応永六年三月足利管領畠山修理大夫満則神殿造営、社領五十町寄附、天文四年四月國澤六郎兵衛徳長神殿造営寄附、天文五年七月炎上依テ天文六年四月國澤彦左工門俊要千代神殿再造寄附、寛永六年三月旧藩前田利常執政村井飛弾守長家神殿造営寄附、社地境内ニ禁制札被立置候(中略)往古社地境内八町有之処、被破壊・都テ諸殿・玉橋・神官・巫家・社僧住居等ノ旧跡現今耕地山林ト相成候

神社明細帳



瀬戸比古神社

当社は崇神天皇の御代の創建とされ延喜式内社と伝へる。往昔は観音堂、白山權現とも稱され直海20箇村の総鎮守であった。歴代武将の崇敬も篤く天文4年に当地の領主国沢六郎兵衛徳長が社殿の造立を行った。寛永6年には藩老村井飛彈守長家が社殿の修理と社地境内に保護を加えている。盛時は社家・社僧・坐女150余名に及んだと云うがその多くは退転した。社職は祭神の後裔素都氏が累代奉仕して今日に至っている。
明治6年直海白山神社と改稱したが明治35年瀬戸比古神社の旧社号に復した。御神徳は古今に輝き今に近在の氏子崇敬者から深い信仰が寄せられている。

石川県神社庁



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