瀬戸比古神社
せとひこじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】瀬戸比古神社 能登国 羽咋郡鎮座

   【現社名】瀬戸比古神社
   【住所】石川県鹿島郡中能登町瀬戸ケ-1
       北緯37度0分34秒、東経136度52分27秒
   【祭神】速秋津比古命 (配祀)応神天皇 軻遇突智命
   【例祭】4月11日 春季例大祭 9月11日 秋季例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】崇神天皇御宇創建
       仁寿元年(851)より永徳元年(1381)迄に九度の神位昇格
       天正年中(1573−92)兵乱で焼失
       明治14年12月郷社
       同四41年4月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は志賀町との境界線に近い眉丈山上の「雨池」と称する地
        過去二度の移転により現在地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「黒川(大)明神・不動社・荒魂社」と称していた
   【社殿】本殿流造柿葺
       拝殿・幣殿・神輿庫・手水舎

   【境内社】

崇神天皇御宇創建せられたる社にして延喜式内の社なり仁壽元年文徳天皇の御代より永徳元年後圓融天皇の御宇に至る迄に九度の神位を進められた。
往昔は現在の羽咋郡志賀町と鹿島郡鳥屋町との境にあたる眉丈山の山中に存し、過去二度の移転により現在地に祀られるようになつた。


由緒

瀬戸比古神社の由緒
当社は、崇神天皇御宇創建せられたる社にして、延喜式内の社なり。
仁壽元年文徳天皇の御代より永徳元年後円融天皇の御宇に至るまでに九度の神位を進められたり。
往昔は瀬戸郷と称し、一郷の惣社にして畠山領主より幾多の神田を寄附せられたりと傳う。
当社の境域は、最も幽古なる霊地にして、地形南北の山間に孤立し、瀬戸川の川の口を塞ぐ此川の水源は羽咋郡倉垣村の山境より発し、此処に架く天造地設の趣あり、御往時、羽咋郡地籍なりし折り、此地を以て能登郡との郡界とす。
今は、鹿島郡に属す。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



瀬戸比古神社

当社は崇神天皇御宇創建せられたる社にして延喜式内の社なり。仁寿元年文徳天皇御代より永徳元年後円融天皇の御宇に至る迄に9度の神位を進められたり。
祭神は速秋津比古命、応神天皇、迦具土命が配祀され瀬戸郷の総社なり。明治41年神饌幣帛供進社に昇格す。
その後、黒川大明神を合 祀し、崇敬せられたり

社頭石碑



瀬戸比古神社

当社は、崇神天皇御宇創建せられたる社にして、延喜式内の社なり。仁壽元年文徳天皇の御代より永徳元年後円融天皇の御宇に至るまでに9度の神位を進められたり。往昔は瀬戸郷と称し、一郷の惣社にして畠山領主より幾多の神田を寄附せられたりと傳う。当社の境域は、最も幽古なる霊地にして、地形南北の山間に孤立し、瀬戸川の川の口を塞ぐ此川の水源は羽咋郡倉垣村の山境より発し、此処に架く天造地設の趣あり、御往時、羽咋郡地籍なりし折り、此地を以て能登郡との郡界とす。今は、鹿島郡に属す。

石川県神社庁



能登国INDEXへ        TOPページへ


学校DATA