往古は今の社地より東にあったが、天正年間大條薩摩が居舘を築くために今の地に遷した。 |
鳥屋嶺神社由緒 この神社は草葺不合尊を中央に左に猿田彦大神、右に宇賀美多満尊(保食神)の三柱の神々をお祀りしてあります。 この神社がいつ建てられたか知られてはいませんが延喜式の神名帳に陸奥国百座の中の神社として記録されていることから今から千百年以上前に建てられたことが分かります。 五穀豊穣・家内安全・身体健固のご利益のある神社として信仰されてきました。 江戸時代には隣接の鳥屋館にあった丸森邑主佐々氏から手厚い庇護を受け、文政3年には大がかりな修理を行ったことが記録に残されております。(丸森町史・資料篇) 明治5年に村社格に列し、明治40年には神饌幣帛料供進社に指定されました。 昭和28年3月丸森田町の大火で類焼したが氏子たちの努力により同年11月再建されました。 神社の祭典は毎年7月28日にとり行います。 社頭掲示板 |
鳥屋嶺神社 創立年代詳でないが、延喜の制小社に班した。旧邑主佐々氏(伊達藩公族、天和2年この地に封ぜられる)の遠祖源義元深くこの社を崇め伊織に至り文政4年本殿、拝殿、石間及玉垣、鳥居等を改造、再興した。佐々氏は本社の東に居館を構築し鳥屋館と呼び本社を鎮守社として田五石、神鏡を奉納した。累世この館に居り明治に至ったので祭事興行亦重く預ったことは云うまでもない。明治5年9月村社列格。同40年3月供進神社に指定。 宮城県神社庁 |