隠津島神社
おきつしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】隠津島神社 陸奥国 安積郡鎮座

   【現社名】隠津島神社
   【住所】福島県郡山市湖南町福良字福良山 7414
       北緯37度20分5秒、東経140度4分58秒
   【祭神】市杵嶋比賣命 多岐理比賣命 多岐都比賣命
   【例祭】7月23-25日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】正徳元年(1711)3月神号を旧に復す
       享保16年(1731)11月6日火災
       同17年6月造営
       明治22年改築

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「菅明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造銅板葺
       幣殿・拝殿・社務所・参籠殿

   【境内社】若木神社・八幡神社

尾根の頂に鎮座する。境内に杉の巨樹多がい。本殿背後に磐座がある。
周囲は森林地帯で、特に社叢は福島県の天然記念物に指定されている。
社伝によれば、平安時代に筑紫国宇佐郡の宗像大社より勧請し、隠津島神社と号した。


由緒

延喜式内隠津嶋神社参拝のしおり
1、隠津嶋神社−福島県郡山市湖南町福良鎮座
1、御祭神−隠津嶋神社の御祭神は、市杵島比売命、多岐理毘売命、多岐都比売命の三女神を御祀りし、武勇武神、交通安全、商売繁昌の主護神として広く崇敬されております。
1、御由緒−隠津嶋神社は郡山市湖南町福良の南約6キロメ−トル、布引山の東麓、加護山(福良山)に在り、式内社旧安積郡三座の一座であります。
境内は杉や雑木の原生林におおわれ県の天然記念物、緑地環境保全地区、国の保健保安林に指定されて居ります。寛永年間、正之中将入部ありて後2万5千平方米余の土地寄付され、正徳元年、神職桑名尚永氏、吉田家に講じて、延喜式内社隠津嶋神社の号を復した。尚隠津嶋神社は、社前に菅の多く生する為、菅明神とも称へられ、又、同年間藩候肥後の守(正容)又家臣に命じて、神殿を新たに造営されました。
隠津嶋神社は総て福岡県の宗像三社に擬して、本社より南方約5キロメ−トル余り布引山の南麓、黒沢と伝処に瀑布の磅、峡岩の頂に小祠を営み、宗像の奥津宮に準へ早魃に雨を祈る所とした。又、本社より東4キロメ−トル余り高井原山の東麓、三代の地内字栃窪、東西約72メ−トル、南北約36メ−トル余りの処に菅の生たる沼があり、周囲に古木欝蒼として列れり栃の老樹1株、周囲約4メ−トル余りあり、ここの御社を辺津宮に準じたと伝えられております。
何時の頃よりか、布引山の祠殿は廃絶し、現在は三代に鎮座する御社と、この隠津嶋神社の御社とがあるのみでございます。
1、御境内−当神社の境内は数多くの原生林でおおわれ日光をさえぎり泉石幽邃にして神秘の地であります。
菅谷地−社の前に多く菅の生する所があり、往古早魃の時神職桑名氏潔斎して菅を採れば雨が必ず降ると伝えられております。
風穴−社の後なる山に風穴多くあり、夏は冷風、冬は暖風吹上ぐるにより神風岩として知られ商売繁昌のヘビ神様として信仰されております。
菅滝−(御手洗川)即菅川の源なり、高さ7メ−トル余りあり、往古より禊の場としており、又同じく雨を祈る所であります。
烏帽子岩−御本殿真後にあり当隠津嶋神社の御神岩とされてある。
天然記念物−隠津嶋神社社叢 
御祭礼−隠津嶋神社の御祭礼はつぎのとおりであります。
例大祭礼−7月23日、7月24日(23日の夜は夜ごもり参拝)
月次祭−毎月24日

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




隠津島神社社叢

福島県指定天然記念物 隠津島神社社叢 昭和39年3月24日指定 所在地 郡山市湖南町福良字福良山7413番地 所有者 隠津島神社 本社叢(神社の森)は、ミズナラ・サワシバ・アオダモなど山地帯渓畔林の植物が多くみられ、その種類は200数種にもおよんでいる。 この地域は、数百年来、神域として斧(おの)を入れることなく、小規摸ではあるが原生林の形態を示しており、ミズナラ・アオダモ・サワグルミの巨木の中には、目置通り幹囲2.45mに及ぶものがある。また、ここにはヒメアオキ・ハイイヌガヤなど、日本海側型のブナ林の構成要素がみられ、この地域が日本海側型気候の支配下にあることを示している。 隠津島神社社叢は、福島県内の代表的な社叢で、学術上も貴重なものである。本社は、延喜式内社社と伝えられている。 福島県教育委員会

社頭掲示板



隠津島神社略記

社号 延喜式内 隠津島神社
御祭神 市杵島姫命 多岐理姫命 多岐都姫命
旧社格 郷社
大祭日 87月23日・24日・25日
神社境内 当神社の境内は杉の老木と数多くの原生林におおわれ、日光をさえぎり泉石幽邃にして神秘の地であります。社有林は約15ヘクタールあり主に杉や雑木林の天然林で、そのほとんどが国指定保健保安林、県指定の天然記念物(原生林)、県の緑地環境保全地区、緑の文化財に指定されている。また福島県緑の百景に選ばれている。
風穴 社の後ろなる山に風穴多くあり、夏は冷風冬は温風吹き上げるにより神風岩と称され商売繁盛・無病息災を祈り、俗にヘビ神様として信仰されている。(往古筑紫の国より勧請したとき、その道案内をした付人がその役目を終え、裏山に入り風穴の処で蛇の姿となり穴に身を隠したという伝説があり、以来ヘビ神様として信仰されている。)
管谷地 社の前に多くの管の生ずるところあり、往古干ばつの時神官が潔斎して管を採り神前に捧げ雨祈をすれば必ず雨が降ると伝えられている。 烏帽子岩 社殿の後ろにあって烏帽子の形をしている処からこの名で知られ御神岩とされている。
管滝 社前を流れる御手洗川即ち管川の源で、高さ7m余りあり往古よりみそぎの場としており、また雨を祈る所である。
末社 若木神社・八幡神社
   御祭神は少彦名命・誉田別名の二神を祀り医術・武神の神として崇敬されている。
隠津島神社社務所

社頭掲示板



隠津島神社

第56代清和天皇の御代貞観8年6月夏(西暦866年今から約1100年位前)筑紫の国宇佐郡(現在の福岡県宗像市)に鎮座する宗像大社より勧請し隠津島神社の号を復した。境内に菅谷地があり菅草の多く生ずるに菅明神やお菅様とも称えられている。又、その昔、干ばつの時にその菅草を採り社前に捧げ雨祈をすれば必ず降雨したと伝えられている。(特にその菅草は桑野氏を神官とし菅滝で身を淨め採取される)神官桑野氏は後に桑野を桑名に氏を改め代々桑名家が宮司として奉仕し現在に至っている。寛永年間(1630頃)松平正之中将入部ありて後、当社式内社たることの詮議あり、正徳元年(1711)3月第114代中御門天皇の御代式内社たる証をもって延喜式内社隠津島神社と認ぜられ同年間藩候肥後守(松平正容)家臣に命じ新たに御神殿以下を造営修復された。その後も度々修繕を重ね明治22年6月(1889)明治天皇の御代に神殿幣殿拝殿を改築し現在に至り更に補修造営されている。
隠津島神社は、総て宗像三社(奥津宮・中津宮・辺つ宮)に擬しており、本社より南方約5Km余り布引山の南麓、黒沢という処に瀑布の傍ら峡谷の頂に小社を営み宗像の億津宮に準じ干ばつに雨を祈る処とした。又、本社より東約4Km余り高井原山の東麓、三代の地内字栃窪、東西約72m南北約36m余りの処に菅の生たる沼があり栃の老樹一株、周囲4mあまりあり、この社を辺津宮に準じたと伝えられている。何時の頃よりか布引山の小社は廃絶し、三代に鎮座する御社とこの隠津島神社の御社とがあるのみである。

社頭掲示板



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