隠津島神社
おきつしまじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】隠津島神社 陸奥国 安積郡鎮座

   【現社名】隠津島神社
   【住所】福島県郡山市喜久田町堀之内宮 19
       北緯37度27分23秒、東経140度20分1秒
   【祭神】建御雷之男神
   【例祭】4月3日 春季例祭 10月9-10日 秋季例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】貞亨3年(1686)星右馬之丞改築
       嘉永2年(1849)11月23日焼失
       明治12年11月改築
       明治29年6月11日郷社
       明治31年9月26日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造木羽葺
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】愛宕神社・大山祇神社
   【別当】真言宗医玉山阿彌陀院龍角寺

往古安積山の麓に安積沼と呼ばれる大きな沼が大海のように広がり、住民は点在する島々に住んでいた。その島の一つが沖津島と呼ばれていた。


由緒

当社は岩代之国安積郡草々の古く由緒ある鎮守と言われ、武御雷之男神を奉斎する延喜式内(約1170年前)の古社で、社殿は時の国守により創建された。旧記古文書等多く有ったが、今より140年前の嘉永2年11月の火災によりその多くが焼失し、僅かに焼け残った文書が存している。その伝記によれば、当時の街道は安積山の東を走り、その麓には安積沼と呼ばれる大きな沼が大海のように広がり、住民は点在する島々に住んでいた。その一つが安根が島(現在の安子ヶ島)と言われ、その上にあるのが上伊豆島、下を下伊豆島、沖にあるのを隠津島(おきつしま)と言った。現存する地名に島の字が付くのはこの名残りである。島は鬱蒼とした森林と大小の沼や沢で囲まれ、西には安積山が重畳としてそびえ、獣や蛇が多く住み、田畑に害を与え、時には人や家畜まで襲うので住民の恐怖も大きく、その上日照りや長雨の不順な天候にも悩まされ悲惨を極めた。これが時の国守の心を痛めるところとなり、命を下して斎場を隠津島に建て、頭記の武御雷之男神を奉斎し、地名を冠して隠津島神社と稱え、万民が世の平安と五穀豊穣を祈った。
 神社内にある冷泉左中将為久卿、烏丸左中将光榮卿の社頭奉納和歌三首もこの時のものかと思われる。これ以来、神徳あらたかに天候も順調となり住艮も増加してきたので、開拓に意を注ぎ、まず島の周辺の水を除くために堀割を切って高倉川に通した。これが堀切の地名の起こりである。
 次いで対面原から隠津島を経て藤田川に通ずる堀を設け、この内側を堀之内と言い当神社の周囲の地名となった。この後、安積沼も干拓されて水田となり、早稲原、前田澤、八山田、富田、日和田等の村々の基礎が出来上がり、この地方の住民はこれも隠津島神社の御神徳とますます崇敬の念を篤くした。
 その後世の乱れから戦争内乱が続き、都の保護も薄れて、祭事も衰亡し社殿も老朽するままの時代が続いたが、貞亨3年(約300年前、5代将軍綱吉の時代)になり、これを憂えた安積郡支配所の役人星右馬之丞が改築し、祠として祀ったが衰退はなおも続いた。
 天保13年(約160年前)に至り、二本松藩の儒者服部誼(号大方)は由緒ある古社が衰退のまま放置されているのを嘆いて、境内に石碑を建立した。その碑文の終わりに「千古祠殆就滅、蓋堪慨歎耶、故建碑」(千古の祠殆ど就滅す。けだし慨歎に堪えんや、故に碑を建つ)とあった。これを見た氏子信徒は心を打たれ、修復に努力して社殿も面目を一新するに至った。
 当神社は古くから神職が奉仕して来たが、元禄11年に至り時の神職藤原盛重氏の死亡のあと、長い間世継が決まらず奉仕する者もなく、代わって龍角寺別当が奉仕をして来た。明治維新の後は、この別当を廃し再び神職が奉仕する時代となり、大原康治氏がこれに当たったが、明治5年8月よリ松木家が代々奉仕することとなり現在に至っている。その後は衰微した旧祭典を復活させ社殿修復に努め、殊に社格昇格に努力して明治29年6月11日に郷社に列せられ、更に明治31年9月26日には県社に昇格した。
 この間、明治2年正月3日、神祇伯(神社長官)資訓親王親筆の奉額があり、またこの年は気候が不順で農民の農業を営むことが困難となり、白河県庁(この時は郡山も白河県)より農作祈願祭を仰せ出されて執り行い、翌3年には執賓執行を仰せ出され、明治12年には現在の社殿が荘巌な姿で建立された。
 また明治15年、陸軍大将有栖川宮一品熾仁親王殿下御親筆の奉額を下された。拝殿内には三十六歌仙の絵馬ふうの36枚の額が掲げられている、年代不詳である。拝殿前の奉納額は、明治16年8月1日、竹林寿林作のものが2枚のみ残っている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




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