久安2年(1146)4月朔日近衛天皇の御代、安達太良山に鎮座されていた飯豊和気神、飯津比賣神、陽日温泉神、禰宜大刀自神、俗に甑明神、矢筈森明神、剣山明神、船明神と、大名倉山に鎮座されていた宇奈己呂和気産霊二神、俗に宇奈明神と合わせ奉って安達太良明神と称した。 |
由緒 神社名 安達太良神社 当社は、俗に明神様として氏子中に親しまれ、安達太良山と相対し、本宮町を一望みることができる丘上にあり、神杉等鬱蒼として清々しく、神の鎮ますに相応しい絶好の霊域にある。 鎮座地 福島県安達郡本宮町字舘ノ越二三二番地 祭神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ) 神皇産霊神(かみむすびのかみ) 飯豊和気神(いいとよわけのかみ) 飯津比賣神(いいつひめのかみ) 陽日温泉神(あさひいでゆのかみ) 禰宜大刀自神(ねぎおおとじのかみ) 由緒 当社は、久安2年(1146)4月朔日近衛天皇の御代、安達太良山に鎮座されていた飯豊和気神、飯津比賣神、陽日温泉神、禰宜大刀自神、俗に甑明神、矢筈森明神、剣山明神、船明神と、大名倉山に鎮座されていた宇奈己呂和気産霊二神、俗に宇奈明神と合わせ奉って安達太良明神と称し奉り、本目村を本宮村と改め安達郡総鎮守として尊崇され現在におよんでいる。 神徳 高皇産霊神・神皇産霊神 宇奈明神は、造化の三神として尊崇拝される天之御中主神と共に成りませる二神で、すべてのものをむすびむすばせ給う生成霊威の神である。 飯豊和気神・飯津比賣神 当地方開発守護の祖神である。 陽日温泉神 大己貴神、少名彦神と合わせて、温泉医療の神である。 禰宜大刀自神 神職の祖神として祀られている。 以上、悠遠の昔から地方守護の神としてあがめられ、すべての産業開発、商売繁盛、家内安全、縁結びなど、あらゆる幸福を増進することをはかられる、人間生活の守護神である。 例祭 10月24・5・6日 大祓 節分大祓 人形を阿武隈川の清流にながす。 春祭 5月1日 神事 神事に、真弓の神事、山鳥の秘事、錦木の故実があり、天正年間まで、春秋の例祭に際行われていたが、当時の舘主・氏家新兵衛の退去後は寄進が絶えたため行われなくなった。「秘事にして窺い知る者なし。」とりわけ、山鳥を恐れること甚だしく、この地に生きるものは、他邦へ移っても、此鳥を喰へば害があると云われている。 現社殿 文化3年2月16日の大火により、本宮両町殆ど焼失、御本社、拝殿、神楽殿、宝蔵及び末社まで類焼、同年9月假社殿完成、文化7年3月、再び本宮両町全焼(当假社殿は焼失を免れる)、再度の祝融にあい町自体の再建も覚束なかったが、当社の神主・治部太夫改め雅楽亮廣視の努力と氏子の献身的な寄進とによって現社殿が、文化13年完成、同年9月遷宮。 社務所 大正7年、県社昇格時に建設された社務所は、多年の風雪によって老朽甚だしく、有志相はかり、由緒ある神社を守り続けるため浄財を募り、昭和56年5月1日竣工をみた。 本宮方式秋まつり 露店商に頼らず、町民の手で露店を運営する、町独自の秋まつりは昭和53年より実施され、逐年賑わいを増してきて、伝統ある本宮秋まつりに新しい歴史が加わった。 年号 (西暦) 事項 久安2年(1146)安達太良山と名倉山上の神々を現在地に遷宮 宝徳年中(1449〜51)畠山持清再興し、のち鹿子田和泉が修復した 天正年間(1573〜91年)真弓の神事・山鳥の秘事・錦木の故実があり、春秋例祭の際行われていたが、当時の舘主氏家新兵衛退去後は、神事料の寄進が絶えたため行われなくなった 寛文9年(1669)本社再興 宝永3年(1706)屋根替 正徳の頃 塩田より蛇塚の小祠を、代官黒川氏が現在地に移す 元文5年(1740)屋根替 宝暦の頃(1751〜63)神輿渡御の許しを得たと伝たう 明和5年(1768)本社拝殿共屋根替修理 文化3年(1806)本宮両町殆ど焼失の際、本社拝殿等焼失 文化7年(1810)本宮両町全焼 文化13年(1816)現在の社殿完成 天保2年(1831)三十六歌仙奉納 明治2年(1869)安達太良神社と改称 明治8年(1875)郷社に列す 大正2年(1915)県社に列す 大正12年(1923)屋根銅板葺替 昭和21年(1946)安達太良神社奉賛会を結成 昭和56年(1081)社務所改築落成 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |