尾崎神社(本殿)
おさきじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】理訓許段神社 陸奥国 気仙郡鎮座
          (拝殿)尾崎神社(拝殿)

   【現社名】尾崎神社(本殿)
   【住所】岩手県大船渡市赤崎町鳥沢 190-1
       北緯39度1分33秒  東経141度44分13秒
   【祭神】稻倉魂神 (配祀)海住神
   【例祭】3月16日 春季例祭 9月19日 秋季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】延暦2年(783)創建
       仁寿2年(852)8月7日理訓許段神に従五位下
       寛永2年(1625)火災、古文書などを焼失
       明治5年郷社
       明治7年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       鐘楼・社務所

   【境内社】

尾崎岬上にあり。2001年に訪問したときは本殿跡のみ石積みであった。その後再建。


「気仙丸」建造の経過

岩手県沿岸の気仙地方は、寒流と暖流がまじり合う三陸漁場に位置し、古くから漁撈を中心とした生活が営まれてきました。そのため、造船の技術も工夫されてきたことは、大船渡市立博物館に、マルタをそのままくり抜いた古代の船が二隻残されていることでもうかがい知ることができます。
 また、当地方は、気仙杉や五葉桧(じつは、ひのきあすなろ)赤松、欅などの良材に恵まれ、気仙大工や船大工の出稼ぎとあいまって、技術も各地から導入されてきました。
 江戸時代の海運の花形であった千石船については、当地方の旧家に五百石積み、あるいは八百石積み船を建造した記録が見えるほか、千石船の模型なども残されております。特に、第二次大戦における海外進出の物資輸送船(250トン)は、当時大船渡港の三井木船で製作されました。その時、造船に関与した人員は二千人にも及びました。今回の「気仙丸」の棟梁や職人、相談役などの方々は当時の船匠達であります。
 この造船の技術を生かして、かつて太平洋沿岸を往来した千石船を再現して三陸・海の博覧会に出展し、あわせてふるさとの歴史的文化遺産として後世に伝えようと、平成2年10月、大船渡商工会議所が中心となって、千石船建造推進協議会を結成し、されに船大工有志で組織した「気仙船匠会」によって着工しました。この千石船復元運動には、岩手県をはじめ地元二市二町の自治体、諸団体、企業、そして多くの市民たちが街頭募金などを通じ「気仙衆の心意気を示そう」と浄財を寄せて下さいました。
 平成2年の秋から用材切り出しが始まり、平成3年月に着工した建造工事は順調に進み、同年12月完成し、平成4年5月10日に待望の推進にこぎつけました。建造に当たっては、日本海事史学会はじめ、学識経験者のご指導ご助言を仰ぐなど、可能な限り史実にのっとった復元に努めました。着工から完成までに動員された延べ人数は1500人、総工費7000万円が投じられました。

社頭掲示板



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