杵衝神社
ほこつきじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】杵衝神社 陸奥国 磐瀬郡鎮座

   【現社名】杵衝神社
   【住所】福島県須賀川市桙衝亀居山1
       北緯37度16分15秒、東経140度15分41秒
   【祭神】日本武尊 建御雷命
       『神名帳考証』「穗己都久命」
       『巡礼旧神祠記』武甕槌命

   【例祭】9月30日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】養老2年(712)常陸国より鹿島神社を勧請
       弘仁12年(821)7月10日神桙天降
       天喜5年(1057)源頼義鹿島大明神を桙衝神社に合祀
       慶長2年(1597)火災で社殿及び旧記等焼失
       慶長乙巳蒲生氏郷造営
       慶安元年(1648)藩主榊原忠次社殿再建
       明治3年社名を桙衝鹿島大神宮から桙衝神社に改称
       同5年郷社
       同29年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初は当山の二の平に鎮座(位置不詳)

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「鹿島明神」「鹿島神社」と称していた
   【社殿】本殿流造木羽葺
       拝殿・幣殿・宝藏庫・神樂殿・随神門

   【境内社】

当社の所在する亀居山(=「神居山」)には古墳時代後期の祭祀遺跡が存在する。
東峰東側の中腹に桙衝神社が東面して鎭座し、その背後の山頂の突端部に俗称要石と呼ばれてゐる巨岩(磐座)がある。


由緒

長沼町桙衝亀居山の東斜面中腹に、東面して鎮座する。
亀居山とは、亀が伏せたような独立丘に見えたために、その名が起ったというが、また一説には、神居山の転化であるともいわれている。
祭神は、社記によると武甕槌命と日本武尊の二神であるが、桙衝の名称は、伝柊の尋矛を衝き立てた古事に基くものとされている。
一説に日本武尊ではなく、武甕槌命の事績に由来するともいう「延喜式神名帳」延喜4年(904)に登載された社号からみれば、武の神ないし武器の神が祭られたことが明白である。
それはまた、蝦夷征討との関係からであったろう。
養老2年(712)常陸国より移住した民人、常陸国の一宮神を当山の二の平に勧請して、鹿島大明神と称す。
弘仁12年(821)神鉾が塚より現出したので、秘蔵して、祭神の御霊代として崇める。
天喜5年(1057)源頼義、阿部氏誅伐の誓願成就したのをもって、鹿島大明神を桙衝神社に合祀したので、以来、桙衝鹿島大明神と称するようになった。明治3年(1870)、社号を延喜式登載の桙衝神社に復した。
本殿桁行三間、梁間三間で、切妻の三間社流れ造りの形式をとっている。柱は円柱、柿(こけら)葺きで三方縁、妻飾りの大瓶束を始め、虹梁の上下面や懸魚の形などに時代と地方色が濃厚である。
この本殿の建立については、慶安元年(1648)5月の棟札に「奉修造奥州 惣社磐瀬郡惣鎮守桙衝大明神本地十一面観音菩薩社堂一構」と記されていることや、同年月銘の「祈年祭祓」の内容から、当時の白河藩主榊原忠次の命によることが明らかである。
本殿始め本殿に関する棟札12枚を含め、昭和51年県指定重要文化財となった。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




桙衝神社本殿

福島県指定重要文化財(建造物)
桙衝神社本殿 附棟札12枚
昭和51年5月4日指定
所在地 長沼町大字桙衝字亀井山93番地
所有者 桙衝神社
桙衝神社は、建御槌命と日本武尊を祀り、延喜式神名帳に「巖瀬郡一座桙衝神社」と記された式内社である。本社は、中世からは鹿島神宮と呼ばれていたが、明治3年に桙衝神社と再び改称された。
現在の本殿は、慶安元年(1648)白河藩主榊原忠次の命によって建立されたもので、桁行三間、梁間三間、切妻の流造木羽葺の三間社で、三方に縁を付している。
この建物は、妻飾・大瓶束の結綿部分・紅梁の上下面・懸魚の形など徳に時代と地方の特色を示していて、貴重である。本殿の建立、修復の記録として慶安元年から明治年間までの12枚の棟札が保存されており、本殿の修理・屋根葺き替えなどの経過とともに奉行・大工・名主などの氏名が記されており、当時の営繕組織をよく知ることができ、これも貴重な資料である。
福島県教育委員会

社頭掲示板



桙衝神社

日本武尊が御東征の折り、この神居山(亀居山)に柊の八尋の矛をつきたて、武甕槌神を祀ったのが神社草創の始めで約2000年前といわれている。
この社は、延喜式内の古社で、岩瀬郡の総鎮守として代々領主の信仰あつく、神域45ヘクタール、一の鳥居隋神門より中世建築の本殿を排す。本殿より左の参道を登れば、祭祀遺跡の「磐座」が現存する。
閏年の10月1日に行われる御輿渡御、太鼓獅子舞は、奈良時代から続いたと伝承される。稚児ばやしと踊りに和して、賑やかに百足獅子が歩む姿は、優雅華麗にして古風ゆかしいおもかげを今に伝えている。また、本殿は県指定の重要文化財である。
長沼町教育委員会
このくにの名におうらかに
 ひいらぎの
やしろのほこを
 たてしあとなれ
明治38年 室田定幸

社頭掲示板



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