式内社に比定する説があるが未詳 |
子松神社 恒武天皇の御字延暦20年(802)坂上田村磨呂が夷賊を征すが為め祇園社に詣じて析リ願う「吾今勅を奉じて兇賊を伐たんとす聴くが賊勢は極めて強悪なリ神威に憑るに非ずんばこれを討減するに由なし願くば吾に神力ぎ下被して功を奏せしめ給へ」と念じける 直に兵を進あて大嶽根山にて賊を平定す依て思うこれ祇園社の素盞鳴命の神力加護なりその勝利を祝いこの麓に神殿を設け素盞鳴を奉る醍醐天皇の御字延喜式帳に記され延喜式内社子松神社と号し給ふ その後明徳3年(1392)常葉城主赤松越前守顕則公神殿を再建し翌年9月に遷宮ず明治9年11月卿社に列格し神饌幣帛料供進使指定社となる明治40年に10月15日を例祭日と定め昭和27年神社本庁の法人認定を期に新暦10月24日25日26日の三ヶ日を例祭と定む昭和55年3月御手水舎新築落成を祝し緑起碑を建立す 子松神社蔵書 鷲宮記より 社頭掲示板 |
子松神社の三匹獅子舞 田村市指定無形民俗文化財 子松神社の三匹獅子舞 由来等 子松の三匹獅子舞は、太郎獅子、次郎獅子が花子獅子を奪い合うなどする一人立ちの三匹獅子舞で、子松神社秋季例大祭に神社境内で舞われています。 伝承では、明徳3(1392)年に奉納したのをはじまりとし、天文11(1542)年には伊勢神宮でも奉納したともいわれています。 子松神社は、坂上田村麻呂に由来する縁起を持ち、中世から尊崇をあつめた神社で、かつては多種の神事芸能が受け継がれていたと伝わっていますが、現在は三匹獅子舞だけが保存会により継承されています。 田村市教育委員会 社頭掲示板 |