古来、松山寺境内にある女石神社と一対として祀られている。 この神社には本殿はなく、霊石自体が神体である。 安倍氏はこの大石を荒覇吐(アラハバキ)神として尊崇していたという。 神名式以後の古代・中世史料はない。 |
磐神社 延喜内奥州一百社の内で胆択七社の一とされ、古代よリ崇敬されだ神である。この神社は男石大明神とも称し松山寺切内の女石神社と合せた陰陽の二神で目本武尊、稲葉姫命をまつるとされ、二社に分れるが当社が本社となっている。ご神体は東西10.2m、南北8.8m、高さ4.2mの自然石で古来社殿は設けないならわしであっだが、明治四年には上衣川村の村社となリ、明治30年頃、近郷の氏子の強い要望による寄付金で拝殿が建築された。 なお、当社のすぐ右前方には阿倍館があり阿倍氏は当社を守護神(荒覇吐神)として崇敬し、磐井以南に威をふるう拠点をこの地に形成したと伝えられる。 社頭掲示板 |
磐神社 詳細不明なるも 一、延喜式巻十、神祇十、神名式下 陸奥国一百座の内胆沢郡七座 磐神社 一、御神体は石にして、高さ一丈二尺、長さ四間半、横四間なる。郷人この石を「陰陽石」とも「雌雄石」ともいい尊崇す。 岩手県神道青年会 |